南極会議とプリンスハラルド海岸のネタバレ

樺太犬タロ・ジロが生きていた実話「南極物語」のあらすじとネタバレの「第1回南極会議とプリンスハラルド海岸」編です。目次は「実話『南極物語』のあらすじとネタバレ」です。

このページは「南極物語と朝日新聞の矢田喜美雄のあらすじ」からの続きです。

1955年(昭和30年)7月6日、パリで第1回南極会議(パリ会議)が開催される。

日本は国際地球観測年(IGY)において、東経140度地域の主責任国を務めており、赤道地帯に基地を建設する予定で計画を進めていたが、赤道地帯を統治していたアメリカに拒否されていた。

戦後10年の日本には金が無く、学術学会は南極観測を行う予定はなかったが、朝日新聞の矢田喜美雄の提唱による「南極学術探検」の話しが持ち上がったため、東京大学の永田武は、南極会議に対してノックス海岸での観測を希望しを伝えていた。

しかし、ソ連(ロシア)がノックス海岸に基地を建設するため、第1回南極会議で、日本の計画に反対。ソ連がノックス海岸に基地を建設することになり、日本は計画の変更を余儀なくされた。

そこで、第1回南極会議は、南極にある「ピーター1世島」での観測することを日本へ勧告したのである。(ソ連がノックス海岸に建設するのがミールヌイ基地である)

ピーター1世島は島だった。日本代表の永田武は、日本の自然科学のレベルは高く、南極観測をするのなら、南極大陸へ行くべきだと考えていた。

学術学会の茅誠司は朝日新聞の半沢朔一郎に相談。半沢朔一郎は「南極大陸で観測をやるべきだ」と答え、永田武や茅誠司らと見解が一致。そして、半沢朔一郎は南極ウィルクスランドでの観測を提案したのであった。

プリンスハラルド海岸はインアクセサブル」へ続く。