南極観測船「宗谷」と随伴船「海鷹丸」が出発

北村泰一が南極大陸へ向かう「南極物語」のあらすじとネタバレの「南極観測船『宗谷(そうや)』と随伴船『海鷹丸(うみたかまる)』が出発するあらすじ」編です。


このページは「日本鋼管・浅野ドッグ(あさのドッグ)と牧野茂」からの続きです。南極物語のトップページは「南極物語のあらすじとネタバレ」です。
1956年(昭和31年)11月8日は、霧雨が降る肌寒い日だった。東京都にある晴海埠頭には3万人を超える民衆が集まっていた。民衆の先には日本中の夢と希望を乗せた南極観測船「宗谷(そうや)」の姿があった。
第1次南極観測隊員53名、宗谷の乗組員77名、樺太犬22頭(オス犬20頭・メス犬2頭)、猫1匹、カナリア2羽を乗せた南極観測船「宗谷」は、大きく汽笛を鳴らして離岸した。南極まで2万キロの過酷な旅へ出たのである。
第1次南極観測隊が集めた樺太犬は23頭だったが、北海道にて犬ぞり訓練中にタロ・ジロの兄弟サブが死亡したため、南極観測船「宗谷」に乗り込む樺太犬は22頭となている。
あまり知られていないが、東京水産大学(現在の東京海洋大学)の練習船「海鷹丸(うみたかまる)」が、随伴船として宗谷に同行している。
海鷹丸は、日本からケープタウンの間は海洋調査に従事するため、宗谷が出発する12日前の1956年10月28日に千葉県館山湾を出港し、その後、ケープタウンで宗谷と合流している。
東京水産大学は南氷洋(南極海)のデータを豊富にもっており、随伴船「海鷹丸」は気象情報や接岸地点の分析を担当したほか、物資の補給や、宗谷が沈没したさいの人命救助などの役割を担っていたのである。「朝日新聞の矢田喜美雄が南極観測に参加できなかった理由のネタバレ」へ続く。

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