南極観測船「宗谷」とバートンアイランド号

第2次南極観測隊が樺太犬タロ・ジロを昭和基地に置き去りにする実話「南極物語」のあらすじとネタバレの「宗谷とバートンアイランド号のあらすじ」編です。目次は「実話『南極物語』のあらすじとネタバレ」です。


このページは「第2次南極観測隊の副隊長は村山雅美」からの続きです。
第1次越冬隊の中野征紀・ 菊池徹・北村泰一の3名が犬ぞりで、南極大陸に在る山「ボツンヌーテン」を目指して進んでいるころ、日本でも大きな動きがあった。
1957年(昭和32年)10月21日、第2次南極観測船「宗谷(そうや)」が第2次南極観測隊を乗せて、東京日の出桟橋を出港したのである。
第1次南極観測船「宗谷」は第1次越冬隊を南極に残して帰路に就いたとき、氷に閉じ込められて身動きが取れなくなり、ソ連(ロシア)の砕氷船「ビオ号」に救出されていた。
第2次南極観測隊はその苦い経験を踏まえ、第1次南極観測隊の時よりも3週間も早く日本を発ったのだった。
暴風圏を超えた第2次南極観測船「宗谷」は、第1次と同じように昭和基地のはるか北東から南氷洋に進入し、1957年12月21日にエンダービーランドのクローズ岬沖に到着する。
第2次南極観測船「宗谷」は、ヘリコプターを飛ばして海上探索をしながら、昭和基地を目指して南西へと進んだ。
1957年12月26日、偵察に出たヘリコプターがビーバー機「昭和号」の離陸に利用できそうな海水面を発見し、第2次南極観測船「宗谷」はビーバー機「昭和号」を飛ばすため、発見した水域を目指した。
しかし、1957年12月31日、宗谷が昭和基地の北方200km地点へ来たたところで、猛烈なブリザードが吹き始める。海水面を目指していた宗谷は、たちまち氷に囲まれて身動きが取れなくなってしまった。
身動きが取れなくなった宗谷は、1958年(昭和33年)1月31日まで氷と共に西へ西へと流され続け、約450kmも流されてしまった。宗谷は昭和基地から北西の遙か彼方で立ち往生してしまう。
一方、宗谷から情報報告を受けた文部省の南極地域統合推進本部は、1958年(昭和33年)1月24日から協議に入り、1958年1月31日に外務省を通じてアメリカの砕氷船「バートンアイランド号」に救助を要請を決定する。
日本からの指示を受けた宗谷船長の松本満次は不本意ながら、宗谷から約2500km東に居るアメリカの砕氷船「バートンアイランド号」へ救助を依頼する。
その一方で、南極観測船「宗谷」は自力での脱出を試みる。国際舞台への復帰を飾るため、第2次南極観測隊は日本単独の力で南極観測を成功させようとしているのだ。
自力での脱出を試みた南極観測船「宗谷」は1958年2月1日に左舷プロペラーの羽1枚の4分の3を欠き、砕氷能力の2割を失うが、2月6日午後1時30分(現地時間)に外洋へ脱出することに成功した。
しかし、もう離岸予定日2月1日を過ぎていた。予定では、第2次越冬隊を昭和基地に残して帰路についている。接岸に適している南極の夏はもう終わろうとしていた。第2次南極観測隊は流されている間に大きなチャンスを失っていたのだ。
一方、宗谷から脱出の報告を受けた文部省は、「救助」から「接岸への救援」に切り替えて、アメリカの砕氷艦「バートンアイランド号」に救援を再要請する。
こうして、1958年2月7日に砕氷船「バートンアイランド号」が南極観測船「宗谷」の元に到着した。
昭和基地から北方約160kmの地点でバートンアイランド号と会合した宗谷は、満身創痍になりながらも、再び昭和基地のあるオングル島を目指すのであった。「宗谷が第1次越冬隊を収容したあらすじ」へ続く。

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