樺太犬のタロ・ジロを南極の昭和基地に置き去りする

第2次南極観測隊が越冬に失敗した「南極物語」のあらすじとネタバレの「樺太犬のタロ・ジロが南極の昭和基地に置き去りになるあらすじ」編です。


このページは「南極物語-森松秀雄の奇跡」からの続きです。南極物語の目次は「南極物語のあらすじとネタバレ」です。
バートンアイランド号の後に続いて離岸した南極観測船「宗谷(そうや)」は、1958年(昭和33年)2月17日に外洋へ脱出する。
宗谷は、外洋に留まり第2次越冬隊の輸送を試みることを伝えるとともに、支援を要請すると、バートンアイランド号は「1週間だけ、この場に留まり、支援するが、救出する義務は負わない」と条件付きながら支援を約束した。
第2次南極観測隊は会議を開き、第2次越冬隊の規模の縮小するとともに、第2次越冬隊の目的を「観測」から「昭和基地の維持」へと変更する。
第2次越冬隊は、当初は20名であったが、度重なる規模の縮小で、最後には7名になっていた。越冬の成立に必用な輸送物資も1500kgにまで減らしていた。
この規模であれば、1日で第2次越冬隊を昭和基地へ送り込める。宗谷は昭和号での輸送を試みるため、天候の回復を待つ。しかし、第2次観測隊は天候に恵まれることはなかった。
1958年2月24日、ついに、第2次南極観測隊の隊長・永田武は越冬を諦めて、第2次越冬隊の不成立を宣言したのである。
こうして、宗谷は昭和基地に樺太犬タロ・ジロなど15頭を残したまま帰路に就く。最後まで第2次越冬隊が昭和基地に残留する可能性が残っていたため、樺太犬15頭は鎖につないだままだった。「南極のゴジラのあらすじ」へ続く。

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コメント欄

この、樺太犬のタロ・ジロを南極の昭和基地に置き去りにする話の内容は本当です。森松秀雄氏いの話も本当です。誤りの多いこの種の話としては、希な真実を伝えたものです。私は、その当時者です。第一次南極越冬隊員、犬、オ―ロラ係 現九大名誉教授(80才)

  • 投稿者-
  • 北村泰一

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  • 管理人