北村泰一が樺太犬のタロ・ジロと再会する南極物あらすじ

実話「南極物語」のあらすじとネタバレシリーズ「北村泰一(きたむら・たいいち)が昭和基地に置き去りにした樺太犬タロ・ジロと再会する」編です。目次は『実話「南極物語」のあらすじとネタバレ』です。

このページは「糸川英夫がカッパロケット(K-6型)を発射する南極物語」からの続きです。

南極観測事業は、1957年7月から1958年12月にかけて開催する世界共同観測「国際地球観測年(IGY)」に参加する国家事業だっため、第2次南極観測隊(本観測隊)で終了する予定だった。

ところが、アメリカの科学者を中心に延長を求める声が挙がり、国際学術連合会議は、「国際地球協力年(IGC)」として観測を引き継ぐことを決定し、観測の5年間延長を各国に勧告した。

これを受けた日本学術会議は、政府に南極観測事業の2年間の延長を要請する。要請を受けた日本政府は1958年7月11日、南極観測事業の延長を閣議決定し、南極観測事業の継続が決まる。

昭和基地はオーロラ帯直下に位置していたため、学術的に価値があったことに加え、既に基地を建設しているので追加する費用が多くかからなかったことなど、南極観測事業の延長を決定した大きな要因であった。

新しい南極観測船を作る計画も出たが、造船には2年以上かかるため、時間的に不可能となり、再び宗谷を改修して使用することになった。しかし、宗谷ではオングル島に接岸することは不可能だった。

南極地域観測統合推進本部は、第2次南極観測隊の失敗を踏まえ、メーンの荷揚げ方法を空輸とし、南極観測船「宗谷」にヘリコプター甲板を増設する。

空母機能を強化した宗谷は、DHC-2型ビーバー1機と偵察用ヘリコプター「ベル47G型」2機とのほかに、大型ヘリコプター「シコルスキーS58型」2機を搭載した。

中型のシコルスキーS55型を砕氷艦に搭載している国はあったが、大型のシコルスキーS58型を搭載するのは、日本が初めてだった。

1958年(昭和33年)11月12日、第3次南極観測隊を乗せた南極観測船「宗谷」が南極大陸を目指して日本を発つ。第3次南極観測隊の中には、第1次越冬隊の北村泰一と大塚正雄との姿もあった。

第1次越冬隊で犬係だった北村泰一は、鎖をつないだまま昭和基地に置き去りにしてきた樺太犬の亡骸を弔ってやろうと考え、再び南極を目指したのであった。

1959年(昭和34年)1月14日、リュツオ・ホルム湾に到着した第3次南極観測船「宗谷」は昭和基地から140km地点で接岸となり、空輸にとりかかる。

1月14日午後1時39分、大型ヘリコプター「シコルスキーS58」2機が先発隊として昭和基地に飛ぶ。

そのうち1機には、第3次南極観測隊の村山雅美・大塚正雄・武藤晃・清野善兵衛・荒金兼三・芳野赳夫の6名が乗っていた。

やがて、シコルスキーS58が昭和基地を視界にとらえると、大塚正雄がなにやら犬らしきものを発見し、「犬だ」と声を上げた。

まさか、樺太犬が生きている?驚いた村山雅美らは大塚正雄の方へと集まり、シコルスキーS58が大きく揺れた。大塚正雄らにせかされるようにして、ヘリが着陸する。大塚正雄らは1年ぶりに南極の地を踏んだ。

ヘリから見かけた樺太犬2頭は黒毛で丸々と太っていた。発見した犬は、1年前に置き去りにした樺太犬15頭のうちの2頭だが、第1次越冬隊で機械係だった大塚正雄には樺太犬の判別ができない。

機械の点検という重要な任務があった大塚正雄は、樺太犬2頭の頭をなでると、直ぐに機械のチェックへ向かう。発電機は昭和基地の心臓にあたるため、1年間放置した機械のチェックしなければ、物資の輸送計画がたてられないからだ。

第2次隊の失敗があるため、第3次南極観測隊が失敗するわけにはいかない。他のメンバーも早々と各自の持ち場へ向かい、1年間放置した昭和基地や機材を点検にとりかかる。

一方、ヘリのパイロットは直ぐに宗谷に居る永田武隊長に報告する。永田武は第1次越冬隊で犬係をしていた北村泰一に確認を命じる。北村泰一はすぐさまヘリに乗り込み、昭和基地へ飛んだ。

ヘリを降りた北村泰一は樺太犬2頭を目の当たりにする。本当に生きていた…。樺太犬は黒毛で、丸々と太っており、小熊のようだった。

犬係をしていた北村泰一にも、この2頭がどの犬か判別できない。風連のクマのように凶暴な犬だったら、かみ殺されるかもしれない。

樺太犬を置き去りにしたことに責任を感じていた北村泰一は、恐る恐る犬に近づくが、犬は北村泰一の警戒心を感じ取って退き、一定の間隔を開けて対峙した。

置き去りにした時間から比べると一瞬だが、お互いを思い出すには長すぎる時間が流れた。

北村泰一は犬の名前を呼んだり、犬ぞりの号令をかけたりしてみるが、樺太犬2頭は反応しない。やがて、北村泰一はじりじりと犬に近寄り、樺太犬に接触することに成功した。

北村泰一は「クマ?」「モク?」と犬の名前を呼んでいくが反応が無い。しかし、「タロ?」と呼ぶんだとき、1頭の尻尾が揺れた。「タロ?タロなのか?」と問いかけると、尻尾を大きく振った。

では、もう1頭はジロか。もう1頭に「ジロ?ジロなのか?」と呼びかけると、犬はヒョイと片方の前足をあげた。これはジロの癖だった。生き残っていたのは、タロとジロの兄弟犬だった。

その後、昭和基地の周りを探索したが、置き去りにした15頭のうち生存が確認できたのは、タロとジロの2頭だけだった。

7頭が鎖につながれたまま死んでおり、残りの6頭は鎖を抜けて姿を消していた。鎖につながれた7頭は体重は半分ほどになっていた。行方不明になった6頭は遺体も見つからなかった。(後に1頭の遺体が見つかる)

そのころ、宗谷は厚い氷に阻まれ、接岸となる。ヘリコプター「シコルスキーS58型」の活躍により、荷揚げは順調に進み、第3次越冬隊が成立する見通しが立つ。

しかし、天候の悪化から空輸を中断。氷に囲まれて身動きがとれなくなった宗谷は、氷と共に西へ流されていくが、その後、天候が回復したため、空輸を再開する。

1959年(昭和34年)2月1日、宗谷から昭和基地へ輸送した物資は58トンに達し、第3次南極観測隊の隊長・永田武は、第3次越冬隊の成立を宣言する。そして、囲まれていた氷を爆破すると、宗谷は離岸した。

離岸した宗谷は、氷に囲まれて身動きがとれなくなったポーラハブ号を救出にあたるため、リュツォ・ホルム湾で待機する。

第3次南極観測隊は宗谷の待機中に、第3次南極観測隊はプリンスハラルド海岸の測量を行い、昭和基地への追加輸送も行う。

1959年2月4日、ポーラハブ号から「状況が好転した」との連絡を受け、宗谷は南極での任務を終えて、帰路についた。

一方、第3次越冬隊として昭和基地に残った北村太一は、南極大陸とオングル島の間にある氷陸まで樺太犬7頭の遺体を運ぶと、氷を割って水葬にした。

そして、北村泰一は日本から持参した阿弥陀如来像を昭和基地の近くにある丘に祭り、死んでいった樺太犬を弔ったのであった。「南極物語-タロとジロと宗谷のその後のあらすじ」へ続く。

北村泰一が樺太犬のタロ・ジロと再会する南極物あらすじへのコメント

はじめまして。いつも楽しく拝見しています。
ところで、つながれて死んでいた犬たちですがいつごろどのように発見されたのでしょうか。我が家にあるのが菊池さんの「犬たちの南極」と「南極新聞」だけのためそのあたりの経緯がよくわかりません。
係留場につないであったそうですが、すぐわかったものでしょうか。1年もたって
雪に埋もれていたのではと思うのですが。
もしご存知でしたらよろしくお願いします。

  • 投稿者-
  • ほのぼの
  • -2011年12月22日

コメントありがとうございます。樺太犬の掘り出し作業を始めたのは、1959年(昭和34年)の2月末になります。時系列は次のようになります。

1959年1月14日に樺太犬タロ・ジロを発見し、ヘリコプターで昭和基地の周辺を調査するが、その他の犬は見つからず。

2月1日に第3次越冬隊が成立。越冬を開始後、越冬の準備が一段落した2月末に第3次越冬隊の木村泰一と中村純二の2名が、係留場で樺太犬の掘り起こし作業を行いました。

最初に掘り出したのは樺太犬ゴロでした。医療担当の武藤晃が樺太犬ゴロを解剖しました。次に掘り出したのは樺太犬ジャックでした。ジャックは逃げ出したので、首輪だけでした。

このように1頭1頭を掘り起こして行き、全ての樺太犬を掘り起こすのに数日を要しています。

なお、元々、樺太犬は雪の中で寝ていました。雪の中で寝る方が温かいからです。上に積もった雪の重みで、下の雪が硬くなっていくので、樺太犬の掘り出し作業を行ったとき、下の方の雪は多少は硬くなっていたと思います。

  • 投稿者-
  • 管理人
  • -2011年12月22日

管理人様。早速のご返答ありがとうございます。
一番最初に見つかったのがゴロですか。
「ゴロ 三歳、42,8キロ。黒の長毛。稚内出身。胴長く大柄で力は超弩級。「ゴロ」なしでは、そりは進まぬと言っていたほどである。オラフ旅行には「ゴロ」はおできのために不参加。まるで力の抜けたチームのようだった。ただし大食感で、目は赤くいつも充血しているようだった。恐ろしい風采には似合わずおとなしい。」 
「犬たちの南極」のゴロの欄を思わず読み返してしまいました。ゴロはたしか毛が
氷(雪?)といっしょに抜けてしまい、お尻あたりにおできができて悲惨な状態に
なっていたんですよね。雪の中は暖かかったかもしれませんが、おすわりの状態で
床が冷たいのはさぞつらかったろうと、思います。
それにしても、越冬準備が一段落してから2名で発掘。完了に数日かかったというのははじめて知りました。あまりに南極大陸で犬が大事だ~~一番だ~~の描写がひどかったので、これって史実?と恐ろしかったのです。
倉持(菊池さんor北村さん)が第一便でないことは知っていました。
当たり前ですが、南極観測の準備が優先されたのですね。安心致しました。

  • 投稿者-
  • ほのぼの
  • -2011年12月22日