犬たちの南極-あらすじとネタバレ感想文

第1次南極観測隊で第1次越冬隊の犬係だった菊池徹の小説「犬たちの南極」のあらすじとネタバレを含んだ読書感想文です。


このページは「南極第一次越冬隊とカラフト犬のあらすじとネタバレ感想文」からの続きです。感想文のトップページは「南極越冬隊タロジロの真実-あらすじとネタバレ感想文」です。
ときどき、南極物語で犬の虐待が話題になるのだが、第1次越冬隊が樺太犬に虐待を加えた事実はない。
樺太犬は南極での越冬中、室外に鎖でつながれていたので、犬が「かわいそう」だという人も居るが、樺太犬はそれが普通なのである。
樺太犬は暑さに弱くて、寒さに強い犬である。昭和基地には犬小屋もあったが、樺太犬は犬小屋には入らず、野外で寝ていた。犬小屋が無いから野外で寝ていたわけではない。
昭和基地の在るオングル島は南極のなかでも温暖な地帯で、昭和基地の最低気温は-45.3度(第1次越冬隊の時の最低気温は-36度)である。北海道旭川市の最低気温は-41.0度なので、寒さはそれほど変わらない。
もともと、樺太犬は北海道よりも北の樺太で発生した犬なので、もっと寒い所で生活していた。昭和基地程度の温度は樺太犬にとっては、特別に寒いわけではない。
また、樺太犬は犬ぞり用で、そりを引くことになる。放し飼いにして、そりを引くときだけ、首輪を付けるのでは、犬にとっても苦痛になるので、普段から鎖でつないでおく方が犬にとっても良いらしい。
樺太犬は暑さに弱いので、赤道を通るときの暑さ対策として、南極観測船「宗谷」の樺太犬の部屋だけには、当時は高級だったクーラーが付いていた。ちなみに、人間の部屋にはクーラーは付いていなかった。
樺太犬の部屋にだけクーラーを取り付けたのは、日本初の南極探検家・白瀬矗が樺太犬を連れて南極へ向かったさい、暑さにやられて樺太犬が死亡したことを教訓としたからである。
そういう意味では、第1次越冬隊の成功は白瀬矗の失敗を教訓とした結果であり、第3次越冬隊の成功は第2次南極地域観測隊の失敗を教訓とした結果である。
失敗を積み重ねた先に成功があるのだから、第2次南極地域観測隊の失敗を責めるのは間違っていると思う。
さて、第1次越冬隊が南極観測船「宗谷」へ回収されるさい、犬係・菊池徹の提案により、メス犬シロ子が南極で出産した子犬8匹は日本へ連れて帰ることにした。
南極観測船「宗谷」と昭和基地とを往復する小型飛行機「昭和号」には積載量300kgという厳格な重量制限があり、第1次越冬隊は持ち帰ることができる荷物の重さを厳しく制限されていた。
積載量には自分の体重も含まれるので、載せられる荷物は少ない。第1次越冬隊は持ち帰る荷物を選別しなければならない状態だった。当然、子犬を連れて帰るということは、子犬の重さの分だけ、自分の荷物を持ち帰ることができなくなる。
第1次越冬隊は、南極で集めた貴重なデータと子犬とを天秤にかけ、子犬を持ち帰ることを選んだ。第1次越冬隊が樺太犬をどのように扱っていたのかは十分に理解でき、第1次越冬隊が南極で樺太犬を虐待した事実はない。
南極物語は、樺太犬のタロ・ジロの置き去り事件に話題となるが、「日本人が日本の装備で南極へ行く」という点に注目すると、樺太犬タロ・ジロの生還とは別の面白さがある。

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