南極物語の都市伝説-樺太犬のタロ・ジロは死んでいた

樺太犬のタロ・ジロの置き去りから奇跡の生還を描く南極大陸物語には、「本当は樺太犬のタロ・ジロは死んでいた」という都市伝説がある。今回は南極大陸物語の都市伝説を紹介する。


南極大陸物語のあらすじとネタバレは「南極大陸物語のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。
南極大陸物語といえば、樺太犬のタロ・ジロの奇跡の生還が話題になるが、本当は樺太犬とタロ・ジロは死んでいた。そもそも、南極大陸物語は黒幕によって演出された作り話だったのだ。
第2次南極観測隊が樺太犬のタロ・ジロを置き去にした事件から1年後の1959年(昭和34年)1月14日に、第3次南極地域観測隊の機械担当・大塚正雄が、昭和基地で2頭の犬を発見する。
そして、第3次南極地域観測隊の地球物理担当・北村泰一が2頭の樺太犬をタロとジロと確認した。
しかし、本当に樺太犬のタロ・ジロは死んでおり、北村泰一らが昭和基地で発見した樺太犬は、予め用意されていた別の樺太犬だったのである。
樺太犬は毛色が似ていれば、ほとんど見分けは付かない。「これがタロで、こればジロだ」と言われれば、「そうなのか」と思う程度の違いしかない。
さらに、昭和基地で樺太犬を発見すれば、置き去りにした樺太犬15頭のどれかただという先入観が働き、別の所から連れてきた樺太犬でも、置き去りにしたタロやジロだと思い込むことは当然である。
昭和基地で樺太犬2頭を発見した大塚正雄と、樺太犬のタロ・ジロと確認した北村泰一の2人は、第1次越冬隊の隊員だった。
第3次南極地域観測隊に参加した第1次越冬隊は、大塚正雄と北村泰一の2人だけ。その2人が、樺太犬タロ・ジロの生存確認に利用されたのだ。
南極大陸物語の黒幕は、人間の先入観を利用して、樺太犬のタロ・ジロの生還を演出したのだ。樺太犬タロ・ジロの生還劇は、南極大陸物語の黒幕によって演出された作り話だったのである。
元々、南極観測隊は、朝日新聞の矢田喜美雄が提唱した「南極学術探検」だった。それが、資金問題により国家事業の「南極観測事業」へと発展し、第1次南極地域観測隊が発足した。
南極観測事業は、国際協力事業「国際地球観測年(IGY)」の開催に合わせて行うため、当初は2年間で終了する予定だった。
それが、第2次南極地域観測隊の失敗後、南極観測事業は延長され、一時の中断はあったものの、2011年現在まで続いている。
ある意味では、第3次南極観測隊がなければ、現在まで南極観測隊が続いていなかったと言っても過言ではない。それほど、第3次南極観測隊を派遣する意味は大きかった。
国際地球観測年(IGY)は2年で終了する予定だったが、その後に南極観測事業は国際協力の形でユネスコで継続するという話しへ進んでいた。それが、結果としては国際地球観測年が「国際地球協力年(IGC)」として南極観測を延長することになった。
日本は第2次南極地域観測隊の越冬に失敗し、第3次南極地域観測隊の派遣は難しい状態だった。しかし、南極はあらゆる意味で要所だったため、日本はどうしても南極を押さえておきたかったのだ。
日本が南極を押さえておきたい理由は2つある。1つ目は、南極大陸の地下資源である。南極大陸は地下資源が豊富で、第1次越冬隊は南極でウラン鉱山を発見しいる。日本は南極大陸の地下資源が欲しかった。
日本は原爆を落とされたため、ウランを毛嫌いする人が多かったが、列強国はウランに注目しており、日本の1部の議員はウランを重要な資源だと考えていたのだ。
ちなみに、第1次越冬隊に参加した地質学者・菊池徹は、日本のウラン鉱山を調査する数少ない地質学者だった。「南極大陸物語の都市伝説-樺太犬のタロ・ジロは死んでいた後編」へ続く。

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