実話「南極物語」のインスタントラーメンのネタバレ

実話「南極物語」シリーズの第1次南極観測隊(予備観測隊)・越冬隊とインスタントラーメン(即席麺)についてのネタバレです。

実話「南極物語」については「実話『南極物語』のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

実話の第1南極観測隊・次越冬隊が食べていたインスタントラーメンは、東明商行の即席麺「長寿麺」のようである。

第1次南極観測隊とインスタントラーメンの話しは、インスタントラーメンの歴史と関係している。

日本初(世界初)のインスタントラーメンは、チキンラーメンと言われることがあるが、これには諸説がある。

実は、チキンラーメンよりも前に、ベビースターラーメンで有名な松田産業(現在の「おやつカンパニー」)が「味付中華麺」を発売してるのである。時系列にまとめると次のようになる。

1955年…松田産業が「味付中華麺」を発売
1956年11月8日…第1次南極観測隊が日本を出発
1958年春…大和通商が「鶏糸麺」を発売
1958年春…東明商行が「長寿麺」を発売
1958年8月25日…日清食品が「チキンラーメン」を発売
1959年…松田産業が「ベビースターラーメン」を発売。

日本初の即席麺「味付中華麺」は商業的に失敗するが、後に麺の欠片を製品化し、お菓子「ベビースターラーメン」としてブレイクしている。

大和通商の「鶏糸麺」や東明商行の「長寿麺」は、1958年(昭和33年)春に発売している。

大和通商の「鶏糸麺」や東明商行の「長寿麺」も、お湯を注いで数分経てば食べられる即席麺だった。カップに入ってはいないが、カップラーメンに近い感覚の即席麺だった。

第1次南極観測隊が越冬することになったのは、第1次越冬隊の隊長となる西堀栄三郎が南極観測隊に参加してからのことなので、南極観測隊とインスタントラーメンの関わりは、1956年(昭和31年)初ごろからになるだろう。

だから、時系列的に第1次南極観測隊が松田産業の「味付中華麺」の開発にかかわっている可能性は小さい。もし、かかわっているのであれば、松田産業(おやつカンパニー)の商品に南極の宣伝文句で出てくる可能性が大きい。

さて、第1次南極観測隊では、「西丸ペミカン」で有名な西丸震哉がペミカンやインスタントラーメンの創作にかかわっていた。しかし、越冬隊の隊長・西堀栄三郎と意見が合わなかったため、西丸震哉は越冬隊から降りている。

インスタントラーメンの開発者には諸説があり、その1つ西丸震哉を発明者とする説がある。おそらく、西丸震哉説は、第1次南極観測隊のエピソードが根拠になっているのだと思う。

しかし、実際に西丸震哉がどのようにインスタントラーメンを開発していたのかは不明で、東明商行の即席麺「長寿麺」などとの関係も不明である。

一方、第1次越冬隊のラーメンの袋はアルミ箔だったようだ。南極へ行くまでに、赤道を通らなくてはならないため、インスタントラーメンが高温にも低温にも耐えられるように袋も研究していた。

さらに、越冬隊関連の資料を調べていくと、東明商行の名前が登場するのだが、大和通商や日清食品の名前が登場しないため、第1次南極観測隊が南極へ持って行ったインスタントラーメンは、東明商行の即席麺「長寿麺」である可能性が最も大きいという結論になった。

その後のインスタントラーメン業界を制したのは、日清食品だった。1958年8月25日に日清食品が「チキンラーメン」を発売し、その後に特許裁判に発展。最終的に特許裁判で日清食品が勝利している。

最後に、日本初のインスタントラーメンについて。大和通商の「鶏糸麺」や東明商行の「長寿麺」は、「中華そば」や「支那そば」と呼ばれており、「ラーメン」と呼ばれるようになったのは、チキンラーメンからだった。

そういう意味では、チキンラーメンが日本初のインスタントラーメンと言えるが、このあたりは「本家」と「元祖」との戦いのようなもので決着はつきそうにない。

ただ、チキンラーメンが最も工業生産に適しており、チキンラーメンが勝利しなければ、インスタントラーメンは現在のように普及しなかった可能性はある。

日本初には諸説があるが、インスタントラーメンの発展に最も貢献したのはチキンラーメンであることは間違いないのである。

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