実話「南極物語」の飛行機-セスナ機「サチ風号」

実話「南極物語」のあらすじとネタバレシリーズ「南極観測隊のヘリコプターと飛行機」編です。

実話「南極物語」の目次は『実話「南極物語」のあらすじとネタバレ』です。

■飛行機やヘリコプターの選定
日本が南極観測に参加することが決定すると、学術学会の茅誠司は1955年(昭和30年)12月21日に、日本航空学会へ航空機の選定を要請した。

1956年(昭和31年)1月13日、日本航空学会は特別委員会を設置し、南極観測船「宗谷」および随伴船「海鷹丸」に搭載する飛行機・ヘリコプターの選定が始める。

日本航空学会は、小型飛行機「パイパー・スーパー・カブ」(JA3058)を実験機として、訓練および調査を開始した。

南極観測隊は「全て国産品」という方針をとっていることから、ヘリコプターは国産化されている「ベル47G」2機を採用することが決定していた。

1956年5月24日、日本航空学会の倉西正嗣は、ベル47G2機のうち1機をイギリスのヘリコプター「ブリストル・シカモア171型」へ変更すること提案するとともに、随伴船を用意してデ・ハビランド社のビーバー機を搭載することを提案した。

しかし、ビーバー機の納期が出発までに間に合わないうえ、南極観測船「宗谷」に格納できず、ビーバー機を搭載できる随伴船の用意も困難であることから、小型飛行機について協議を開始。

協議の結果、長距離飛行や航空撮影の必要性から小型飛行機の採用が決定。ビーバー機に変わる小型飛行機として、朝日新聞が所有するセスナ機「さち風」(セスナ180型)を借用することを決定した。

その後、セスナ機「さち風」にジャイロコンパスや航空撮影機材などを搭載して、南極仕様へと改造し、南極観測船「宗谷」に格納した。
こうして、第1次南極観測隊のヘリコプター・飛行機は次のようになった。

●第1次南極観測船「宗谷」に搭載
セスナ機「さち風号」(セスナ180型)1機
ヘリコプター(ベル47G型)2機
雪上車4台

●随伴船「海鷹丸」に搭載
朝日新聞のヘリコプター「ペンギン号」(ベル47G型)1機

■南極観測船「宗谷」が出発
1956年(昭和31年)11月8日、大勢の国民に見送られて第1次南極観測船「宗谷」が東京港晴海埠頭を出港する。

1956年11月15日には台風19号に遭遇し、宗谷に格納していたセスナ機「サチ風」の一部を破損。また、11月17日には、高波による浸水により、収納箱がぶつかり、機体の一部を凹ませた。

1956年11月23日、第1次南極観測船「宗谷」はシンガポール港へ寄港し、セスナ機「サチ風」を修理。そして、11月27日に出港した。

■第1次南極観測隊のヘリコプターとセスナ機
1957年(昭和32年)1月7日、第1次南極観測船「宗谷」は南極洋のエンビーランド沖に到着する。

セスナ機「サチ風」は1月16日に行った撮影飛行で、氷原の中にプリンス・オラフ海岸へと続く氷の割れ目(水路)を発見。第1次南極観測船「宗谷」は、発見した水路を通って昭和基地から20km地点に接岸することに成功した。

インアクセシブル(接近不能)と呼ばれたプリンス・ハラルド海岸に接近できたのは、セスナ機「サチ風」が発見した氷の割れ目(水路)のおかげであった。

その後も、セスナ機「サチ風号」は偵察や航空撮影などで活躍。ヘリコプター(ベル47G型)も偵察や雪上車の先導などに活躍し、第1次越冬隊の成立に貢献した。

実話「南極物語」の飛行機物語-ビーバー機「昭和号」』へ続く。