南極大陸の最終回の感想

キムタクことSMAPの木村拓哉が主演するTBSの第1次越冬隊ドラマ「南極大陸」の最終回の感想と視聴率について。最終回の視聴率は22.0%でした。全話の視聴率は「2011年10月の秋ドラマの視聴率の一覧」をご覧ください。


南極大陸-最終回のあらすじと結末は「南極大陸-最終回のあらすじと結末のネタバレ」をご覧ください。
ドラマ「南極大陸」は感想は非常に難しい。全体的なストリーは悪かったが、部分的なストリーは実話を詳しく取り入れており、良かった。
■ストリーの入口と出口が違う
ドラマ「南極大陸」の南極観測は、日本が国際社会へ復帰するためのプロジェクトとして始まった。
しかし、国際社会への復帰を果たさないまま(日本の南極観測隊が世界を驚かせないまま)、樺太犬タロ・ジロの生還で話しが終わってしまったため、ストリーに違和感が残った。
国際社会への復帰という入口から入ったら、国際社会の復帰という出口から出なければ、ストリーがぶれてしまう。樺太犬の話しをメーンにするのであれば、樺太犬の話しから入るべきだった。
■原子力発電所と南極観測
ドラマ「南極大陸」を放送している2011年は、東北大震災の影響により、原発問題や放射能問題が話題となった。
実は、2011年は、南極地域観測の前進となる朝日新聞の南極学術探検が動き出した1955年(昭和30年)と状況と社会背景が共通している。
昭和30年に朝日新聞が「南極学術探検」を提案し、日本学術会議の茅誠司に南極観測の話しを交渉にいったとき、茅誠司は「昨年は政治家が札束で学者の頬をひっぱたきに来たが、今年は朝日新聞が氷の棒で学者の頭を叩きに来た」と冗談を言った。
前年に国が2億3500万円の予算を組み、原子力事業を日本学術会議に要求しており、次は朝日新聞が南極学術探検を求めて来たのである。
■第1次南極観測隊と放射能問題
南極地域観測は放射能汚染とも関係がある。実は、朝日新聞が「南極学術探検」を提唱する前年の1954年(昭和29年)3月1日に、アメリカがマーシャル諸島で水爆実験を行った。
この水爆実験で日本船「第5福竜丸」が被爆する第5福竜丸事件が発生したほか、日本にも放射能の影響があり、放射能汚染が問題となっていた。
このような事件があり、日本国民の心は曇っていた。その曇った心に風穴を開けようというのが、南極観測であり、南極観測隊だった。
ドラマ「南極大陸」は全部取り終えてから放送しているので結果論になるが、ドラマを放送している2011年が当時の状況の社会背景と似ているので、非常に面白い時期に放送したと思う。
■第1次越冬隊は侍(サムライ)
11は漢字で縦書きにして、90度回転すると「士(サムライ)」という漢字になる。だから、11のことを士(侍=サムライ)と呼ぶことがある。
第1次越冬隊を11名にしたのは、第1次越冬隊の隊長・西堀栄三郎だった。西堀栄三郎は、文部省から第1次越冬隊は10名と決められていたが、隊員10名プラス隊長1名と解釈して、11名にしてしまったのである。
第1次南極観測隊が挑むプリンスハラルド海岸は、アメリカ軍がインアクセシブル(接岸不可能)と報告した難所中の難所で、越冬隊長の西堀栄三郎は越冬隊員に死ぬ覚悟を問うていた。
だから、ドラマ「南極大陸」では、第1次越冬隊を死地に望む侍のように描いて欲しかった。ドラマ「南極大陸」では第1次越冬隊がコントになっていたので残念だった。
■第1次越冬隊は優秀だった
第1次越冬隊は「どんな場所でも生き延びられる人」が選ばれた。だから、足軽部隊と呼ばれることがあるが、実は南極観測隊の夏隊よりも優秀だったらしい。
うろ覚えだが、第1次越冬隊の博士号の数は7つで、夏隊の博士号の数は4つだったらしい。
■イシマツ自動車の鮫島直人(寺島進)
ドラマ「南極大陸」の鮫島直人(寺島進)がトラブルメーカーになっていたので、ドラマを観て呆然としてしまった。
越冬隊は1年間を南極で過ごすため、トラブルを起こす人間は越冬隊の候補者リストから除外された。
越冬隊には、身体検査は勿論、精神鑑定もあった。酒乱を排除するため、飲酒の様子をコッソリとチェックしていたという話しも聞いたことがある。
鮫島直人(寺島進)のキャラクターを観て、ドラマ「南極大陸」をフィクションと割り切れれば、ストリーも面白く思えたのかもしれない。「ドラマ南極大陸の最終回の感想-中編」へ続く。

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