第1次越冬隊が昭和基地に残留越冬しなかった理由

実話「南極物語」のあらすじとネタバレシリーズ「第1次越冬隊が昭和基地に残留越冬しなかった理由のネタバレ」編です。

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第2次南極観測隊が樺太犬15頭を昭和基地に置き去りにする事件で、第1次越冬隊がそのまま残れば良かったのではないか、という疑問が生まれるかもしれない。今回はその辺りの事情をネタバレする。

■第1次越冬隊の残留問題
第1次越冬隊11人は1年間の越冬生活の中で、ノイローゼ1名を出すなどして疲弊していたが、中にはもう1年の越冬を希望する隊員も居り、第1次越冬隊長の西堀栄三郎は南極地域観測統合推進本部(文部省)と残留について交渉していた。

元々、第1次越冬隊は最長で2年間越冬する契約になっていたので、2年分の食料を持っており、もう1年間越冬するだけの食料はあった。だから、第1次越冬隊がもう1年間、越冬することは物理的に可能だった。

しかし、南極地域観測統合推進本部(文部省)が「人道的な問題から2年目の越冬を認めない」として、第1次越冬隊の残留を認めなかった。その理由は、南極観測隊の留守家族にあった。

第2次南極観測隊が第1次越冬隊を迎えに来たとき、第2次南極観測船「宗谷」は氷に囲まれて1ヶ月間にわたり身動きが取れなくなり、氷と共に西へと流された。

南極観測隊には報道担当の隊員がおり、第2次南極観測船「宗谷」の状況は日本に伝わっており、日本では氷に囲まれて身動きの取れなくなった第2次南極観測船「宗谷」のことが連日連夜で報じられていた。

このため、第1次越冬隊の留守家族は「宗谷が沈没したら第1次越冬隊はどうなるのか」などとして、南極地域観測統合推進本部(文部省)に詰めかけていた。

このような経緯から、南極地域観測統合推進本部(文部省)は「新道的な理由」として、第1次越冬隊の残留を認めなかったのである。

■第1次越冬隊を全員収容せよ
アメリカの砕氷艦「バートン・アイランド号」の援助を受けて接岸した第2次南極観測隊の隊長・永田武は、最初に第1次越冬隊を収容する計画を実行した。

この計画については、昭和基地に居る第1次越冬隊からも不満が出たように、現地で仕事の引継ぎができないことなどから、一般的に考えれば奇妙な交代計画である。

おそらく、このような計画になった理由は、第1次越冬隊の留守家族が非常に心配していたため、南極地域観測統合推進本部(文部省)から「最初に第1次越冬隊を全員収容せよ」という命令があったのではないかと思う。

■第1次越冬隊の反乱
第1次越冬隊は、隊長・永田武の「第1次越冬隊を全員収容する」という指示に不満を持ち、1便に1人だけ乗り込んで時間を稼ぎ、宗谷側の事情を探ろうとする作戦に出た。

(このとき、昭和基地は天候が良かったが、宗谷側は天候が悪かった。そして、互いに双方の事情を知らない状態だった。)

これに頭を抱えたのが、第2次南極観測隊の隊長・永田武である。初日にビーバー機「昭和号」3便が飛んだにもかかわらず、1便から第1次越冬隊が1人しか下りてこないので、初日は3人しか収容が出来なかった。

永田武は第1次越冬隊の行動が理解出来ず、翌日の午前8時に、ヘリコプターで昭和基地に飛び、第1次越冬隊長の西堀栄三郎と会談し、第1次越冬隊を全員、収容する計画を説明する。

その結果、第1次越冬隊は全員が宗谷に戻ることを決め、子犬と共に引き揚げていく。こうして、2日目はビーバー機「昭和号」が4往復し、第1次越冬隊を全員収容を完了することができた。

■第1次越冬隊の収容の順番
●収容作業1日目-1958年2月10日
第1便で立見辰雄を収容
第2便で藤井恒男を収容
第3便で砂田正則を収容

●収容作業2日目-1958年2月11日
第4便で北村泰一と小犬1匹を収容
第5便で菊池徹・佐伯と小犬2匹を収容
第6便で西堀栄三郎・作間敏夫・小犬1匹・三毛猫タケシ・カナリアを収容
第7便で中野征紀・大塚正雄・村越望を収容

第2次越冬隊が昭和基地で越冬できなかった理由のネタバレ」へ続く。