外務省機密漏洩事件(西山事件)のあらすじとネタバレ

TBSドラマ「運命の人」のモデルとなる実話「外務省機密漏洩事件(西山事件)」のあらすじとネタバレです。

このページには実話「外務省機密漏洩事件(西山事件)」のあらすじとネタバレが含まれているので、あらすじとネタバレを知りたくない人は閲覧にご注意ください。

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1956年(昭和31年)3月、西山太吉は慶應義塾大学大学院を卒業し、毎日新聞に入社する。

1959年(昭和34年)、蓮見喜久子が外務省の職員・蓮見武雄と結婚する。

夫の蓮見武雄は病気のため、夫の家賃収入で生計を立てる予定であったが、治療費が必要になったため、蓮見喜久子は知人の紹介により、外務省の外輪団体の臨時職員となる。

その後、蓮見喜久子は外務省の職員となり、1964年(昭和39年)4月に外務省の事務官となる。

1965年(昭和40年)8月19日、総理大臣の佐藤栄作は「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」と述べた。

1967年(昭和42年)12月11日、佐藤栄作総理大臣が「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を表明した。

1969年(昭和44年)12月5日、柏木雄介とアンソニー・ジュリックの2人が、日本の対米支払いに関する秘密合意覚え書きを交わす。

1970年(昭和45年)7月、蓮見喜久子が安川壮審議官の元で働くようになる。

1971年(昭和46年)4月末ごろ、毎日新聞社政治部の西山太吉は、安川壮審議官つきの山田事務官と蓮見喜久子の2人を食事に誘う。

山田事務官は都合が悪く、誘いを断る。西山太吉は蓮見喜久子と2人だけで会食する。

1971年5月18日、毎日新聞の西山太吉は、タクシーで送ると言い、女性外務事務官の蓮見喜久子を誘うが、西山太吉の仕事が終わらず、2人を乗せたタクシーが外務省を出たのは夕方7時ごろとなった。

その日、2人は東京都新宿区(コマ劇場の裏)にある飲食店「車」で飲食した後、近くにあるバー「スカーレット」でお酒を飲む。西山太吉は蓮見喜久子に「個性的だ」なとど口説いて、ホテルで初めての肉体関係を結んだ。

蓮見喜久子の手記を読んでも、西山太吉と女性事務官・蓮見喜久子の2人が不倫関係になったことにおいて、強姦や準強姦は確認できなかった。また、2人は飲酒していたが、蓮見喜久子は泥酔してはいなかったようである。

1971年5月21日、西山太吉は、職務中の蓮見喜久子のディスクに電話し、「土曜日(明日)に会いたい」との誘う。蓮見喜久子は待ち合わせ場所にホテルニューオータニにあるバー「カプリ」を指定した。

蓮見喜久子は、自分から待ち合わせ場所を指定したことについて、「同僚が近くに居るため、早く電話を切りたかった」と説明している。

1971年5月22日午後2時、2人は約束したバー「カプリ」で合流し、タクシーへ乗り込む。

西山太吉は「横浜へ行こう」と言ったが、時計を見て行き先を渋谷へと変更し、京都渋谷区松濤1丁目にある「ホテル山王」で情通(肉体関係)する。

そして、西山太吉はホテル山王で蓮見喜久子に対して、安川壮外務審議官に回付する書類の持ち出しを依頼した。

1971年5月24日、蓮見喜久子は外務省の機密文書(基地返還リスト)を持ち出し、ホテル・ニューオータニで西山太吉に会い、その後、バーで機密文書を渡す。

1971年5月25日、蓮見喜久子は外務省の機密文書を持ち出し、読売新聞の元記者・秋元秀雄の事務所「秋元政策研究所」で西山太吉と会う。

これ以降、蓮見喜久子は毎日のように外務省の機密文書を持ち出し、ホテル山王や秋元政策研究所で、西山太吉に機密書類を渡す。

1971年5月28日、外務大臣の愛知揆一がスナイダー駐日大使と会談し、沖縄返還交渉の最終段階へと入る。

1971年6月11日、吉野丈六とスナイダー駐日大使とが、沖縄にあるVOA(ボイス・オブ・アメリカ)施設の移転費用1600万ドルを日本が肩代わりする密約合意文書を交わす。

1971年6月12日、吉野丈六とスナイダー駐日大使とが、アメリカが支払うべき米軍用地の復元補償費用400万ドルを日本が肩代わりする密約合意文書を交わす。

1971年6月17日、沖縄返還協定調印が行われる。

1971年6月18日、毎日新聞の朝刊が、西山太吉の署名入り記事「米、基地と収入で実とる請求処理に疑惑、あいまいな本土並み交渉の内幕」で沖縄密約疑惑を報じる。

西山太吉はこの記事で「日本側から内密に一札とっておく必要があったはずである」と、沖縄密約の存在を指摘したが、ニュースソースを守るため、曖昧な表現にしか書けず、世論からの反響は皆無であった。

なお、西山太吉は、沖縄返還交渉はベストではないが、ベターで進んでいるため、沖縄返還悪い影響を与えないため、沖縄返還協定調印が終わってから記事にした、ようである。

1971年6月26日、2日後に渡米する西山太吉は、ホテル山王で蓮見喜久子と情通し、機密文書をアメリカへ郵送するように頼む。

1971年6月28日、西山太吉がアメリカ国務省の招待によるアメリカ旅行で渡米する。蓮見喜久子はエアメールで、アメリカにいる西山太吉に機密文章を送る。

1971年8月5日、西山太吉がアメリカから帰国する。

1971年8月8日、西山太吉はホテルで蓮見喜久子と情通し、エアメールで受け取った機密文書を返却する。西山太吉はアメリカ土産を買ってくると約束していたが、土産を購入していなかった。

その後、2人は次第に会わなくなり、1971年9月を最後に不倫関係が終わる。

1972年2月、西山太吉は外務省の担当から自民党の担当となり、外務省の女性事務官・蓮見喜久子との関係が消える。

外務省機密漏洩事件(西山事件)のあらすじとネタバレの中編」へ続く。

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