実話「運命の人」のあらすじとネタバレ

TBSドラマ「運命の人」のモデルとなる実話「外務省機密漏洩事件(西山事件)」のあらすじとネタバレの最終回です。

このページは「外務省機密漏洩事件(西山事件)のあらすじとネタバレ」からご覧ください。

1972年(昭和47年)5月15日、沖縄県が日本に復帰する。

1972年6月17日、沖縄復帰を実現させた総理大臣・佐藤栄作が引退記者会見を行う。新聞嫌いの佐藤総理は、新聞記者を追い出し、テレビカメラに向かって引退の演説をした。

1973年末、蓮見喜久子は、毎日新聞に対して3000万円(当時の金額)を求めていたが、1000万円で示談が成立する。

蓮見喜久子は3000万円で自宅を新築し、余生を過ごす心づもりだったが、弁護士に弁護料を払うと、自宅を新築することは難しかった(このため、沈黙を守っていた蓮見喜久子は、週刊誌の取材に応じたという説がある)。

1974年1月31日、東京地裁は西山太吉に対して無罪(求刑は懲役1年)を言い渡し、蓮見喜久子に対しては懲役6ヶ月・執行猶予1年(求刑は懲役10ヶ月)を言い渡した。

1974年2月1日、西山太吉は「法廷外の責任を取る」として辞表を提出し、1月31日付けで毎日新聞を退職した。

その後、西山太吉は実家の西山青果で勤務しながら、競艇に励む。また、バナナ王と呼ばれた資産家の父の遺産を生かしてマンション経営などに進出する。

一方、蓮見喜久子は週刊新潮で、手記「私の告白」を発表し、西山太吉との肉体関係を赤裸々に暴露した。

その後、蓮見喜久子は控訴せずに刑が確定した。一方、西山太吉は、検察が控訴したため、審理は東京高裁へともつれ込んだ。

1974年(昭和49年)6月20日、蓮見喜久子が蓮見武雄と離婚する。

1974年12月、元総理大臣の佐藤栄作は、非核3原則などの功績が認められ、日本人として初となるノーベル平和賞に選ばれた。

1975年、毎日新聞が会社更生法の適用を受けて倒産した、とされている(倒産については資料が見つからなかった)。

1975年6月3日、脳溢血で入院していた元総理大臣・佐藤栄作が死去する。

1976年(昭和51年)7月20日、東京高裁は西山太吉に対して懲役4ヶ月・執行猶予1年の逆転有罪判決を言い渡した。判決を受けた西山太吉は上告した。

1977年(昭和52年)11月、毎日新聞は新会社を設立し、新会社に業務を譲渡して商号を変更。旧会社は不動産などの管理会社となる(事実上の倒産に相当する)。

毎日新聞が倒産した理由については、西山太吉の不倫スキャンダルによる不買運動が原因とされるが、第1次オイルショックによる値上げによる発行部数の低迷の方が大きく寄与しているようである。

ただ、毎日新聞は西山事件の影響で、毎日新聞に対する取材拒否という後遺症により、記者は取材活動で苦労したようである。

なお、通産省が石油の輸入量が25%減になるとの予想を示したため、第1次オイルショックを誘発したが、その後、毎日新聞の調査により石油の輸入量は減少していないことが確認された。

毎日新聞はオイルショックの影響を受けて倒産したが、毎日新聞の調査は大きく評価され、第1次オイルショックは「幻のオイルショック」「作られたオイルショック」と呼ばれた。

1978年6月1日、最高裁第1小法廷は西山太吉の上告を棄却し、西山太吉の有罪が確定した。

1987年10月19日、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落して、ブラックマンデーが発生する。西山太吉はブラックマンデーのあおりを受けて、株価で損失を出す。

2000年5月29日、朝日新聞が沖縄密約に関する資料が見つかったことを報じる。

朝日新聞と琉球大学の我部政明教授が、米公文書館で、沖縄密約に関する公文書を発見し、西山太吉の主張が正しかったことが証明される。

2005年4月25日、西山太吉は外務省の機密文書は存在しており逮捕は違法だったとし、国家賠償請求訴訟を起こすが、東京地裁は20年の除斥期間を過ぎているとして、西山太吉の訴えを棄却した。

2006年2月8日、担当者だった元外務省アメリカ局長・吉野文六が北海道新聞の取材に対して、沖縄密約の存在を証言した。

2009年3月18日、西山太吉らが国を相手取り、情報開示を求めて沖縄密約情報公開訴訟する。

2010年4月9日、東京地裁は外務大臣・財務大臣に対して、文章の開示と、原告各人に対してそれぞれ10万円の支払いを命じた。国は判決不服として上告する。

2011年9月29日、東京高裁は「行政機関情報公開法の施行前に秘密裏に廃棄したり、国の保管から外したりした可能性は否定できない」として、第1審の判決を取り消した。

西山太吉はこれを不服として上告。現在は最高裁の判断を待っている状態である。

西山太吉と女性事務官・蓮見喜久子の写真」へ続く。