山本八重と幼なじみの日向ユキ

山本八重の生涯を描く実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレシリーズ「山本八重と幼なじみの日向ユキ」編です。

このページは「山本八重と日新館と什の掟」からの続きです。実話「新島八重の桜」の目次は『実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。

■山本八重の幼少期と幼なじみ
山本八重の住む山本家の裏に日向家があり、日向家の隣には高木家があった。

日向家には日向ユキ(ひなた・ゆき)という女の子が居り、高木家には高木時尾(たかぎ・ときを)という女の子が居た。この2人が山本八重の幼なじみである。

高木家では高木の婆さんが針仕事を教えており、山本八重や日向ユキも高木家で針仕事を習った。高木の婆さんは盲人だったが、何でも出来る凄い婆さんだった。

高木家で一通りの針仕事を習った山本八重は、高木の婆さんから「針仕事を教えるのを手伝って欲しい」と頼まれたのだが、針仕事よりも鉄砲の方が好きな山本八重は「座ってする仕事は性に合わない」と言って断り、母親の山本佐久を大いに落胆させた。

■日向ユキの幼少期
一方、幼なじみの日向ユキは、父親が非常に仕付けに厳しいため、平素から1人で外出することが許されず、外出するときは常に供の者を連れていた。

(注釈:当時は武家の娘が1人で外出することは許されておらず、武家の娘が外出する時は必ず女中などが付い行く。)

日向家は御山に網場を所有していたため、網場で鳥を撃ち、焼きとしにして食べたり、東山温泉へ温泉につかりに行ったりしていた。

ある年の七夕の日の夜、日向ユキが隣の高木家の池に入って遊んでいたところ、伝次に脱いでいた着物を隠されて困ったことがあったという。

(日向ユキの実話あらすじについては「日向ユキ(ひなた・ゆき)のwiki」をご覧ください。)

■子供の天国は「授光祭」
会津では、江戸の殿様が帰ってくる年の6月に「授光祭」という祭りが開かれていた。会津藩士の子供は授光祭が大好きだった。

会津藩士の子供は什の掟で「戸外で物を食べてはなりませぬ」と決められているため、買い食いが禁止されていた。

しかし、授光祭の時だけは買い食いが黙認されていたため、授光祭は子供達の天国だった。山本八重も日向ユキも授光祭を楽しんだとされている。

実話「新島八重の桜」の会津編「山本覚馬と林権助のあらすじ」へ続く。