実話-中野優子の暗殺計画-中野こう子が山本八重に激怒

山本八重(新島八重)の生涯をあらすじで紹介する実話「山本八重の桜-会津編」のあらすじとネタバレシリーズ「実話-娘子隊の中野優子の暗殺計画-中野こう子が山本八重に激怒」編です。

このページは「実話-娘子隊(婦女隊)の中野竹子と山本八重」からの続きです。

実話「山本八重の桜」の目次は『実話「山本八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。

■実話-中野優子の暗殺計画
1868年10月9日(籠城2日目)夜、衝鋒隊に参加して出陣することになった中野竹子は、母・中野こう子に「敵に捕まって慰物(強姦=レイプ)にされれば恥辱なので、今夜、私達の手で殺して上げましょう」と言い、妹・中野優子の殺害を相談した。

中野三姉妹は美女揃いで、中でも妹・中野優子は絶世の美女だった。16歳の中野優子は娘子隊の最年少だったため、姉の中野竹子は妹・中野優子には戦争は荷が重いと考えていた。

もし、新政府軍に捕まり、強姦(レイプ)されるようなことがあれば、会津藩の名を汚すため、中野竹子は妹の中野竹子を殺そうと考えていたのだ。

しかし、それを知った娘子隊(婦女隊)の依田菊子(後の水島菊子)らは、慌てて止めに入り、中野優子の殺害は中止となった。

■実話-娘子隊の出陣-涙橋の戦い
1868年10月10日(籠城3日目)早朝、中野優子が率いる娘子隊(婦女隊)は、衝鋒隊に従軍して城下町へと向かう。既にこの時、娘子隊は全員、髪を切り落として男装していた。

(注釈:会津藩で男装していた女性は山本八重だけではなく、娘子隊も髪を切り落として男装していた。髪を切るのは、山本八重よりも、娘子隊の依田菊子の方が早かった。)

戦闘は夜間に行う予定になっていたため、中野優子が率いる娘子隊は道中で農家に寄り道して遊びながら、戦地へと向かった。どうせ死ぬだろう思い、持ち金を農民に与えたら、農民は大変喜んだ。

1868年10月10日(籠城3日目)夕方、中野優子が率いる娘子隊は福島県若松市神指町大字黒川にかかる涙橋で、新政府軍と衝突した(涙橋の戦い)。新政府軍は長州藩・大垣藩の兵だったという。

新政府軍の兵は、衝鋒隊に女が混じっているため、馬鹿にして娘子隊を生け捕りにしようとしたが、中野竹子の太刀を受け、慌てて鉄砲を構えたという逸話も残っている。

娘子隊の中野竹子は数人を斬り殺して善戦したが、中野竹子は鉄砲で頭を撃たれてしまった。

姉・中野竹子が撃たれたことを知った妹の中野優子は、敵と応戦しながらも、中野竹子に近づき、中野竹子を介錯してやった。中野竹子の首は女の手には重たく、農民に手伝って貰って首を回収したという。

奇しくも、死んだ中野竹子は昨夜、母・中野こう子に「妹の中野優子を殺してしまおう」と相談していたが、その中野優子に介錯してもらう結果となった。その後、中野竹子の首は法界寺に葬られた。

中野竹子は享年22歳。中野竹子の薙刀には、辞世の句を書いた紙が結ばれていた。紙には「武士の、猛きこころに、くらぶれば、数にも入らぬ、我が身なからも」と書いてあった。

(注釈:中野竹子の首は、妹の中野優子が介錯したという説もあるが、農民が介錯したという説もある。真相は分からない。)

娘子隊の神保雪子も、「涙橋の戦い」で敵に捕らえられ、自害したとされているが、詳しいことは分からない。

その日の夜、娘子隊は高瀬村へ撤退すると、家老・萱野権兵衛から「場外に居ても鉄砲玉で死ぬだけだから、城内で負傷兵の看護をして欲しい」と頼まれた。

このため、娘子隊は数日間休んだ後、鉄砲を持った護衛6人に守られて若松城へ向かったのである。

■実話-娘子隊の中野こう子が山本八重に激怒
1868年10月15日(籠城6日目)、こうして若松城へ入った娘子隊(婦女隊)の中野こう子は、卑怯者の山本八重を見かけると、「なぜ娘子隊に加わらなかったのですか」と問うたのである。

すると、山本八重は「私は鉄砲で戦う考えでおりました」と答えた。山本八重も薙刀を習得していたが、既に西洋銃に精通していた山本八重は薙刀では通用しないことを悟っていたのである。

中野こう子は当初、山本八重のことを卑怯者として扱っていたが、娘の中野竹子を鉄砲で失い、籠城中に鉄砲の威力を悟ると、山本八重に「娘に鉄砲を教えて欲しい」と頼んだのであった。

■史実-白虎隊の正体は娘子隊だった
若松城に入った娘子隊(婦女隊)は、他の女性と同じように「飯炊き」「負傷兵の看護」「水くみ」などの女中の仕事をしていた。

ただ、娘子隊(婦女隊)は髪を切り落として男装していたため、城内では、よく白虎隊と間違えられた。

娘子隊(婦女隊)の中でも、既に結婚している熟女は「お歯黒」なので直ぐに女性だと分かるのだが、まだ結婚していない依田菊子(後の水島菊子)などは歯が白いため、白虎隊と見分けが付かなかった。

既に、飯盛山で自害した白虎隊(士中二番隊)の悲劇が伝わっていたため、依田菊子(後の水島菊子)がご飯を貰いに行くと、「白虎隊が来た。可愛そうだから、飯を沢山やれ」ということで、ご飯を沢山貰ったこともあった。

南摩綱紀の甥・南摩節が死亡したあらすじとネタバレ」へ続く。