実話-山川トセの焼玉押さえ

山本八重(新島八重)の生涯をあらすじで紹介する実話「山本八重の桜-会津戦争編」のあらすじとネタバレシリーズ「実話-山川トセの焼玉押さえ-山本八重の砲弾解説」編です。

このページは「若松城への総攻撃-山本八重の反撃と坂井日清の怨敵退散」からの続きです。

実話「山本八重の桜」の目次は『実話「山本八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。

■実話-焼玉押さえ
会津城に籠城した女性には、飯炊きや負傷兵の治療の他にも、大事な仕事があった。それは「焼玉押さえ(やきだまおえさ)」という危険な仕事だった。

焼玉(やきだま)とは大砲の弾(砲弾)のことで、当時の砲弾は、着弾しても直ぐには爆発せず、しばらくすれば砲弾は爆発する物が多かった。また、爆発せずに火事を起こす砲弾もあった。

このため、若松城に新政府軍の砲弾が着弾すると、女性は濡れた布団や着物を持って砲弾に駆け寄り、砲弾を冷やして爆発や火事を防いだ。これが「焼玉押さえ」である。

焼玉押さえは、砲弾がいつ爆発するのかも分からない危険な仕事で、女性は決死の覚悟で焼き玉押さえを行っていた。

もし、焼玉押さえの最中に大砲が爆発して負傷すれば、永い苦しみに耐えながら死ななければならないため、女性たちは「元気な者が負傷した者を介錯する」と約束し合い、懐刀を忍ばせて焼玉押さえを行っていた。

■実話-山川トセの焼玉押さえ
1868年10月29日(慶応4年9月14日=籠城22日目)から新政府軍の総攻撃が始まると、若松城に1日、1000発から2000発の砲弾が降り注いだ。籠城する女性は、焼玉押さえにかけずり回る。

1868年10月29日(籠城22日目=総攻撃1日目)、若松城の本丸にある照姫の部屋に新政府軍の砲弾が直撃する。

照姫の警護をしていた、山川大蔵の妹・山川さき(8歳=後の大山捨松)や兄嫁・山川トセ(山川大蔵の妻)は、濡れた布団や着物を持って「焼玉押さえ」に奔走した

総攻撃の1日目、山川さきは、焼玉押さえをしている時に砲弾が破裂して首を負傷した。幸い傷は軽く、山川さきは1週間の療養の後、再び焼玉押さえに加わることができた。

一方、山川さきと一緒に焼玉押さえをしていた兄嫁・山川トセ(山川大蔵の妻)は、砲弾の爆発により、全身4カ所を負傷した。医者に診てもらうが、もう助かる見込みは無かった。

助からないと知った山川トセは、義母(山川大蔵の母)「山川えん」に「母上、お願いします。どうぞ私を殺してください。約束をお忘れですか」と介錯を頼んだ。

しかし、義母「山川えん」には山川トセを介錯することが出来ず、「山川大蔵を呼びに向かっておる。もう少しの辛抱じゃ」と励ました。

約束通りに介錯してもらえなかった山川トセは、苦しみに悶えながら死んでいった。知らせを受けた夫・山川大蔵が若松城に戻ったのは、妻・山川トセが息を引き取った2時間後のことだった。

なお、「酒井たか」の母親は、破裂した弾の破片が後頭部を直撃し、脳味噌が部屋一面に飛び散って即死した。高木豊次郎の妻も、爆発した砲弾の破片が前頭部を直撃し、頭を吹き飛ばされて死んでしまった。

■実話-山本八重の大砲の分解
新政府軍の総攻撃が始まると、藩主の松平容保は、新政府軍が打ち込んでくる西洋式大砲の説明を求めた。これに答えたのが、山本八重であった。

山本八重は、女性が焼玉押さえで冷やした不発弾を抱えて松平容保の御前に現れると、不発弾を分解して中から鉄片を取りだし、「弾が爆発すると、この鉄片が四方に飛び散り、大きな被害を与えるのでございます」と、理路整然と説明してのけた。

不発弾とはいえ、砲弾の分解には危険がともなう。大砲の仕組みを熟知していなければ出来ることではなく、その場に居た者はただただ、大砲に精通した山本八重の説明に舌を巻くばかりであった。

実話「新島八重の桜」の会津編「実話-山本権八が戦死・一ノ堰の戦いのあらすじとネタバレ」へ続く。