実話-山本覚馬とカール・レーマン

NHK大河ドラマ「八重の桜」のモデルとなる新島八重(山本八重)の生涯をあらすじで紹介する実話「新島八重の桜-京都編」のあらすじとネタバレシリーズ「実話-山本覚馬とカール・レーマン」編です。

このページは「山本覚馬と小田時栄(おだ・ときえ)のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「新島八重の桜-京都編」の目次は『実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。

■山本覚馬とカール・レーマンの再会
京都府は「蛤御門の変」で発生した「どんどん焼け」の大火事で荒廃しており、長州藩士の木戸孝允によって送り込まれた槇村正直は、山本覚馬が顧問に就任する前から、産業と教育とを2本柱として京都府の復興に取り組んでいた。

このため、京都府は計画的に町の整備を行い、1869年(明治2年)には日本初となる小学校「柳池小学校」(現在の柳池中学校)を開校した。

また、明治3年12月には、日本初となる中学校「京都府中学」を開校している。

このように槇村正直は教育にかなり力を入れており、意見書「山本覚馬建白(管見)」で教育の大切さを述べていた山本覚馬を京都府へ招いたのは、、後に京都府の大参事(副知事)となる槇村正直でだった。

■山本覚馬とカール・レーマン
京都府の顧問に就任した山本覚馬は、ドイツ人の武器商人カール・レーマンが大阪で貿易会社「レーマン・ハルトマン商会」を経営している事を知ると、カール・レーマンに協力を要請した。

カール・レーマンは、山本覚馬が洋式銃を調達するために長崎を訪れた時に洋式銃を注文した武器商人である。

カール・レーマンは山本覚馬から受注した洋式銃を調達するためにドイツへ戻り、1869年8月6日(明治2年6月29日)に神戸に銃が到着したが、銃が到着した時には既に戊辰戦争は終わっていた。

その後、カール・レーマンは大阪へ入り、大阪で貿易会社「レーマン・ハルトマン商会」を経営していた。

ちなみに、会津藩が銃の代金が一部未払いだったため、カール・レーマンは会津藩(斗南藩)を相手取って訴訟を起こしている。

■山本覚馬とルドルフ・レーマン
山本覚馬の要請を受けたカール・レーマンは、山本覚馬に弟のルドルフ・レーマンを紹介した。

弟ルドルフ・レーマンは、兄カール・レーマンが経営する「レーマン・ハルトマン商会」で働いており、造船所で川蒸気船を製造する仕事をしていた。

1870年12月(明治3年11月)、弟のルドルフ・レーマンは山本覚馬の仲介により、教師として京都府に雇われ、洋学所や京都中学校で、数学や語学を教えるようになる。

さらに、京都府は、カール・レーマンの仲介により、ドイツ人の化学教師ワグネルやドイツ人医師ヨンケルなどを雇い入れ、教育・医療・産業などを発展させていった。

武器商人のカール・レーマンは様々な分野で山本覚馬に協力し、京都府の発展に貢献した。一説によると、山本覚馬が使用している車椅子は、カール・レーマンが作った物だという。

なお、ルドルフ・レーマンのように国や都道府県に雇われた外国人を「お雇い外国人(お抱え外国人)」と言う。

当時の日本は治安が悪かったため、日本に来てくれる外国人は少なく、お雇い外国人の給料は日本人の何倍もした。命を狙われる外国人も多く、用心棒を雇っていたお雇い外国人も多かった。

実話「新島八重の桜」の京都編「実話-山本八重と新英学級及女紅場のあらすじとネタバレ」へ続く。