小野善助と日本初の京都博覧会

NHK大河ドラマ「八重の桜」のモデルとなる新島八重(山本八重)の生涯をあらすじで紹介する実話「新島八重の桜-京都編」のあらすじとネタバレシリーズ「山本八重の京都博覧会のネタバレ」編です。

このページは「実話-山本八重と新英学級及女紅場のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「新島八重の桜-京都編」の目次は『実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。

■日本初の博覧会と山本八重
日本初となる博覧会が京都で開かれたのは、山本八重が京都の山本覚馬の元を訪れてから、数日後の事であった。

こまでも、「物産会」「薬品会」などの名称で展示会は開かれていたが、「博覧会」として開催したのは、京都の博覧会が日本初である。

■小野善助と京都博覧会
1871年(明治4年)11月22日から33日間、京都の豪商「小野組」の小野善助らの主導により、京都にある西本願寺で日本初となる博覧会を開催する。

京都の産業復校や学校設立に関しては、市民や有力者からの寄付によるものが多く、京都博覧会も京都の有力者である小野組の小野善助、三井組の三井八郎右衛門、鳩居堂の熊谷直孝の3人が中心となり、博覧会社を設立して博覧会を開催した。京都府はこれを支援する形であった。

しかし、第1回・京都博覧会は、会場が西本願寺だけで規模も小さく、大失敗に終わった。

そこで、山本覚馬らは、翌年の1872年(明治5年)に行われる第2回・京都博覧会の会場を西本願寺・建仁寺・知恩院へと拡大し、積極的に外国人を誘致して、国際万博を模した大規模な博覧会を開催することにした。

■山本八重が英語の案内状を作る
1872年(明治5年)に行われる第2回・京都博覧会では外国人を誘致するため、英語での案内状が必要になる。このため、山本覚馬は武器商人のカール・レーマンを通じて、ドイツから輪転印刷機を調達した。

(注釈:少し前までドイツは「プロシア」と呼ばれていたが、1871年1月にドイツ帝国が誕生しており、これ以降は「ドイツ」と呼ばれるようになる。)

そして、山本覚馬は妹の山本八重に、英語での案内状の作りを頼んだのである。しかし、山本八重は英語など知らないので、英語の案内状など作れるはずが無い。

英語の案内状作りと言っても、既に英語の文章は用意されていた。山本八重の仕事は、用意された英語の案内状の原文通り、印刷基板にアルファベットを並べていく作業だった。山本八重が英語に接したのは、この時が初めてだった、とさている。

山本八重は1字1字アルファベットを拾って英文を作っていき、山本八重が並べた基板を輪転印刷機で印刷すると、案内状ができあがる。印刷して、誤字を見つけると、原盤のアルファベットを入れ替える。

アルファベットを基板に並べるだけだが、印刷用なので文字が反転しており、英語を知らない山本八重にとっては、骨の折れる作業だった。

山本八重の協力のおかげか、第2回・京都博覧会は、外国人を誘致したこともあり、成功を治めた。

全国で沸き起こった博覧会ブームはやがて下火になっていったが、京都博覧会は1928年(昭和3年)まで、ほぼ毎年、開催している。

実話「新島八重の桜」の京都編「小野組転籍事件のあらすじとネタバレ」へ続く。