横山啓一の生涯

横山啓一(よこやま・けいいち)は、戦時中に日本宣伝協会・日本宣伝技術家協会に所属。終戦後、仕事仲間だった花森安治・伊藤憲治・大橋正らと広告宣伝会社の設立に向けて協議を開始する。

しかし、広告宣伝会社の主要人物である花森安治が、大橋鎮子(大橋鎭子)から出版社設立の相談を受け、大橋鎮子(大橋鎭子)を手伝うことになったため、広告宣伝会社を設立する話は頓挫する。

その後、花森安治は、大橋三姉妹の長女・大橋鎮子(大橋鎭子)、次女・大橋晴子、三女・大橋芳子と共に出版社「衣装研究所」(後の「暮しの手帖社」)を設立した。

横山啓一も衣装研究所を手伝うことになり、少し遅れて経理として衣装研究所に入社し、経理と営業を担当した。

その後、横山啓一は大橋三姉妹の次女・大橋晴子と結婚する。

大橋三姉妹のなかで結婚したのは、次女・大橋晴子だけで、次女・大橋晴子と横山啓一の間に、男の子が生まれる。

この男の子が横山泰子と結婚し、横山泰子が2004年に大橋鎮子(大橋鎭子)から社長職を引き継ぎ、暮らしの出版社の社長に就任し、大橋鎮子(大橋鎭子)は会長に退いた。

しかし、2010年に横山泰子は、副社長の阪東宗文に社長を譲り、非常勤取締役へと退いた。

なお、横山啓一については未確認ながら、1999年に死去したようである。