黒田休夢(黒田高友・黒田千太夫)のwiki

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレの黒田一門編「黒田休夢(黒田高友・黒田千太夫)のwiki」です。

■黒田休夢のwiki
黒田休夢(くろだ・きゅうむ)は、大永5年(1925年)1月に黒田重隆の次男として生まれた。黒田休夢は、本名を「黒田高友」と言い、幼名を「黒田千太夫」と言う。後に「黒田休夢」を名乗った。黒田休夢は、黒田職隆(官兵衛の父)の弟で、黒田官兵衛の叔父にあたる。

■黒田休夢の出生地
黒田休夢の出生地については不明である。一説によると、黒田休夢が生まれた大永5年(1925年)ごろ、父・黒田重隆は備前の福岡村(岡山県瀬戸内市長船町福岡)に住んでいたので、黒田休夢は備前の福岡村で生まれた、とされる。

■黒田休夢の生涯
黒田休夢は、兵庫県の増位山にある随願寺(兵庫県姫路市白国3丁目)に入り(黒田休夢は出家して随願寺に入っていたとされている)、兄・黒田職隆と共に播磨国にある御着城(兵庫県姫路市御国野町御着)の城主・小寺政職に仕えた。

御着城の城主・小寺政職は、天正3年(1575年)に近畿へ侵攻する織田信長に降るが、天正6年(1578年)に有岡城の城主・荒木村重と共に中国地方の毛利輝元に寝返った。

このとき、黒田家の当主で姫路城の城主・黒田官兵衛は、有岡城の城主・荒木村重を説得するため、単身で有岡城に乗り込むが、城主・荒木村重に幽閉されてしまう。

(注釈:黒田官兵衛が有岡城の城主・荒木村重に幽閉されるあらすじとネタバレは「荒木村重が小寺官兵衛(黒田官兵衛)を幽閉したネタバレ」をご覧ください。)

黒田家は、黒田官兵衛の嫡男・松寿丸(黒田長政)を人質として織田信長に差し出しており、織田信長に付いて嫡男・松寿丸(黒田長政)を助けるか、毛利輝元に付いて黒田官兵衛を助けるかの選択を迫られる。

結局、黒田家は主君・小寺政職と決別し、織田信長に属する事を決め、黒田職隆・黒田休夢・櫛橋光(黒田官兵衛の妻)の3人が中心になって黒田官兵衛が不在の黒田家をもり立てた。

そして、黒田休夢は、播磨国にある三木城(兵庫県三木市)の城主・別所長治との戦いなどで活躍した。

黒田休夢は文化人で俳句や連歌に通じ、千利休とも親交があり、豊臣秀吉から厚い信頼を得て、羽柴秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)を努め、天正15年(1587年)に行われた豊臣秀吉の九州征伐にも従軍した。そして、黒田休夢は文禄3年(1594年)3月に死去した。

黒田官兵衛や家臣の情報については、「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

コメントを投稿する

コメントは正常に投稿されていますが、反映に時間がかかります。