豊臣秀吉が朝鮮出兵(唐入り)を発動

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「豊臣秀吉が朝鮮出兵(唐入り)を発動のあらすじとネタバレ」です。

このページは「小早川秀秋が関ヶ原の戦いで裏切った理由は黒田官兵衛」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■朝鮮出兵(唐入り)の発動
天正19年(1591年)の翌年、元号を「文禄」と改め、文禄元年(1592年)となる。豊臣秀吉による朝鮮出兵(唐入り)は、文禄元年(1592年)に行われたことから、「文禄の役」とも呼ばれる。

文禄元(1592年)年1月5日、豊臣秀吉が日本各地の大名に号令をかけた。ついに、豊臣秀吉による朝鮮出兵(唐入り)が始まるのだ。

日本国は既に我が手中に入り、この上は豊臣秀次に日本を渡し、大明(中国)に入りて400州の王になるべし。去年、朝鮮より使者が来たとき、書簡を朝鮮へ送り、大明を討つ暁には必ず朝鮮を先手とする事を告げたが、朝鮮からの返事は無い。

したがって、先に朝鮮を征服するべし。もし、朝鮮が我に従えば、先手として大明(中国)へ攻め入るべし。従わなければ、朝鮮を滅ぼした後、大明に入るべし。

豊臣秀吉の檄が飛ぶと、日本各地の大名が、肥前の名護屋(佐賀県唐津市)に終結する。名護屋に終結した日本軍は15万8000人に上った。

豊臣秀吉は名護屋に集まった日本軍を9つの部隊に分けると、1番隊の小西行長と宗義調の2人に「李氏朝鮮の意思確認し、文禄元年4月1日までに交渉がまとまらなければ、武力で制圧せよ」と命じた。

文禄元(1592年)3月26日、豊臣秀吉は自ら日本軍の指揮を執るため、京都を出て名護屋城へと向かう。

一方、命令を受けた1番隊の小西行長らは対馬に渡ると、外交僧の景轍玄蘇(けいてつげんそ)を李氏朝鮮に派遣して「仮道入明(かどうにゅうみん)」を求めたが、李氏朝鮮は「仮道入明」の要求を無視した。

[注釈:仮道入明とは、「明(中国)に入るために道を貸す」という意味である。]

1番隊の小西行長と宗義調は、李氏朝鮮と粘り強く交渉を続けたが、李氏朝鮮は仮道入明に応じないため、李氏朝鮮との交渉を諦めて武力制圧に切り替え、朝鮮半島へと渡る準備を始めた。

このため、豊臣秀吉は李氏朝鮮を先鋒隊として明(中国)へ攻め入る作戦を撤回し、李氏朝鮮の征伐を発令した。こうして、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)が始まるのであった。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「朝鮮出兵(唐入り)の時の李氏朝鮮の状況のあらすじとネタバレ」へ続く。