小西行長と忠州の戦い

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「小西行長と忠州の戦いのあらすじとネタバレ」です。

このページは「朝鮮出兵-小西行長の抜け駆けのあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■小西行長と忠州の戦い
朝鮮半島の青国(忠清道)に忠州(チュンジュ)という地方があった。忠州は、朝鮮半島の南部中央部にあり、忠州を超えると李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン)という要所であった。

忠州城は朝鮮半島南部の拠点で、忠州城には朝鮮八道のうち朝鮮半島南部三道の陸軍を統括する大将シン・リプが居た。

文禄元年(1592年)4月27日、大将シン・リプは精鋭8000を率いて、1番隊・小西行長を迎え撃ったが、1番隊の小西行長は1万5000の軍勢の前には為す術も無く、鉄砲の一斉射撃を受け、惨敗した(忠州の戦い)。

こうして、大将シン・リプを撃破した1番隊・小西行長は、忠州城へ入った。忠州城を落とせば、李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン=現在のソウル)は目前であった。

■李氏朝鮮王の逃亡
豊臣秀吉の時代、李氏朝鮮は長らく戦いの無い平和な時代を迎えており、兵は鍛えられて居らず、戦い方を知る指揮官も居なかった。

戦国時代で鍛え抜かれた1番隊・小西行長は、連戦連勝で勝ち進み、朝鮮半島への上陸から、わずか1ヶ月で李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン=現在のソウル)へと迫った。

一方、李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン)には、次々と敗戦の報告がもたらされており、朝鮮王朝は激しく動揺していた。

文禄元年(1592年)4月28日、忠州城が日本軍の1番隊・小西行長に占領されたという知らせが入ると、李氏朝鮮王朝は、国王の平壌(ピョンヤン)退避と明(中国)への援軍要請を決定した。

さらに、李氏朝鮮王朝は、王子を各地に派遣し、義勇軍を募り、日本軍に抵抗する作戦を立てた。

文禄元年(1592年)4月29日、首都・漢城(ハンソン)に「明日にも日本軍が攻め込んでくる」という報告が入る。

これを受けた李氏朝鮮の国王一族は、都・漢城(ハンソン)を脱出して、朝鮮半島の北部にある平壌(ピョンヤン)へと逃げた。

このとき、国王一族に従うものは100人にも満たなかった。また、従者が食料を奪い合うため、朝鮮国王は食事に困る有様だった。

また、済川亭という場所に、李氏朝鮮の大将・金命元が居り、漢城の南部を流れる漢江(大河の名前)の防衛に当っていたが、日本軍が来るという知らせを受けると、武器を漢江に沈めて逃げ出した。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「黒田長政と加藤清正の朝鮮出兵(朝鮮征伐)のあらすじとネタバレ」へ続く。