沈惟敬に騙された小西行長-李如松の襲来

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「沈惟敬に騙された小西行長-李如松の襲来のあらすじとネタバレ」です。

このページは「黒田官兵衛を馬鹿にする小西行長のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■明軍の反撃-李如松の襲来
文禄元年(1592年)8月、漢城(ハンソン)で行われた軍議で、軍師・黒田官兵衛は明軍の来襲に備え、「漢城に枝城を築いて、守備を固めるべし」と主張した。

しかし、1番隊・小西行長は「明に攻め入る方法は知っていても、敵の居ないところに城を築く方法など知らぬ」と言い、軍師・黒田官兵衛をあざ笑って平壌城へと戻った。

そして、1番隊・小西行長が平壌城に戻って少しすると、明(中国)からの使者・沈惟敬(しんいけい)がやって来た。

沈惟敬(しん・いけい)は、前年に日本へ渡った鄭皿という者に会い、日本の事を聞いていた民間人で、この度の朝鮮の乱(朝鮮出兵)で大功を上げようと思い、「私は日本の事をよく知っている」と触れ回っていた。

明(中国)の朝鮮担当者・石司馬は、沈惟敬の噂を聞くと、「我、人を得たり」と喜んで沈惟敬を登用し、平壌城に居る1番隊・小西行長の元に派遣したのである。

文禄元年(1592年)8月29日、小西行長が平壌で明(中国)の使者・沈惟敬(しんいけい)と会談する。沈惟敬は低姿勢で明の降服を願い出たという。

小西行長が7ヶ条の条件を提示すると、沈惟敬は「皇帝の許可を得るため、時間が欲しい」と停戦を求めた。小西行長は沈惟敬の要求に応じて、明(中国)と50日間の停戦を結んだ。

この停戦に李氏朝鮮は関係はなく、朝鮮人は各地で一揆を起し、日本軍は一揆の鎮圧に奔走した。当初は順調に進むと思われていた朝鮮八道の支配も難航し、日本軍は兵糧の調達が課題となっていた。

さて、1番隊・小西行長は明の使者・沈惟敬と50日間の休戦を結んだが、約束の50日が経過しても、沈惟敬は平壌(ピョンヤン)へ戻ってこなかった。沈惟敬が平壌を戻ってきたのは、期日から1月が過ぎた文禄元年(1592年)11月下旬のことだった。

ようやく戻ってきた沈惟敬は、平壌で小西行長に面会し、「降服の準備は順調に進んでいる」と説明し、小西行長を安心させた。

しかし、そのころ、明(中国)の大軍が着々と平壌へと近づいていた。

1番隊・小西行長と明が休戦調定を結んでいた間、明(中国)は宋応昌(そう・おうしょ)を総指揮官とし、李如松(り・じょしょう)を提督とする中央軍を編成し、平壌城を目指して進軍を始めたのである。

そして、元禄2年1月5日、李如松が率いる中国軍4万3000に加え、李氏朝鮮軍8000、義勇軍2000の計5万3000(総数20万という資料もある)が、小西行長が守る平壌城(ピョンヤン城)を取り囲んだ。

沈惟敬(しん・いけい)の降服の申し出は、戦争の準備をするための時間稼ぎで、小西行長は騙されていたのだ。

小西行長は、軍師・黒田官兵衛の献策を馬鹿にして平壌城に戻り、沈惟敬の降伏申し入れを盲信した結果、沈惟敬に騙されて李如松(り・じょしょう)の軍に攻められたのである。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「大友義統は朝鮮の卑怯者のあらすじとネタバレ」へ続く。