江陰城の戦い-白川城の戦い

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「江陰城の戦い-白川城の戦いのあらすじとネタバレ」です。

このページは「小河伝右衛門と竜泉城の戦いのあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■栗山四郎右衛門(栗山善助)と江陰城の戦い
竜泉城と白川城との間には、江陰城という繋ぎの城があり、江陰城には黒田長政の家臣・栗山四郎右衛門(栗山善助)が守っていた。

竜泉城の城主・小河伝右衛門は、明(中国)の大軍を追い返した後、黒田長政の命令を受け、竜泉城から江陰城へと引いた。

ある日の深夜、急に明の大軍が江陰城へ押し寄せてきた。栗山四郎右衛門(栗山善助)は良く防ぎ戦い明の大軍を追い返したものの、江陰城には兵が2700しかおらず、江陰城が落ちるのは時間の問題であった。

そこで、江陰城を守る黒田惣右衛門(黒田直之)は、母里太兵衛・後藤又兵衛・衣笠久右衛門・栗山四郎右衛門などと相談し、白川城に居る黒田長政に「急いで注進を申し上げます。敵が夜中に川を渡って攻めて、ただいま一戦いたしました。早々に人数をお出しください」と援軍を求める注進書を書いた。

(注釈:黒田惣右衛門は、黒田24騎の1人で、黒田官兵衛の異母弟です。)

しかし、江陰城と白川城の間は片道で4里(15.7km)あり、援軍を求めても、援軍が間に合う見込みはなかった。

そこで、栗山四郎右衛門(栗山善助)は注進書を「援軍要請」から「最後の暇乞い」へと変更し、「早々に人数をお出しください」という部分を削除して、「急いで注進を申し上げます。敵が夜中に川を渡って攻めて、ただいま一戦いたしました。お手前はご安心くだされ」と書き換えた。

そして、黒田惣右衛門(栗山善助)は選りすぐりの飛脚5人に「最後の暇乞い」の書状を持たせ、黒田長政の居城・白川城へと向かわせた。

さて、書状で暇乞いを済ませた黒田惣右衛門らは、江陰城を出て明(中国)の大軍を待ち構えた。

そして、明軍が川を渡ってきたところで、一斉射撃を加えると、黒田惣右衛門らは決死の覚悟で明軍へと切り込んだ。

明軍は数万という大軍だったが、黒田惣右衛門(栗山善助)・黒田惣右衛門らが一心となり、死にものぐるいで戦ったため、明軍は切り崩されて退却した。死を覚悟していた黒田惣右衛門らにとっても、予想外の勝利だった。

その後、「最後の暇乞い」の書状を受け取った黒田長政は、黒田惣右衛門らの難儀を救うため、援軍を率いて江陰城へと駆けつけたが、既に戦は終わっていた。

このため、黒田長政は「小勢で大軍を追い返すとは、希代の働きなり」と感心し、黒田惣右衛門や負傷兵を労い、白川城へと戻った。

■黒田長政と白川城の戦い
文禄2年(1593年)1月10日の暁、今度は明軍(中国軍)3万が、黒田長政が守る白川城を囲った。

黒田長政は、明軍を城下に引きつけ、明軍が城に近づいてきたところで、一斉射撃を加え、さらに城門を開いて打って出た。明軍は城から打って出るとは思っていなかったので、不意を突かれて大いに驚いた。

そこへ、黒田長政が士卒に先んじて敵に切り込み、散々と明兵を討ち取った。家老を筆頭に家臣は後れを取るまいと勇んで戦い、終いには黒田軍は明の大軍を追い返した。

黒軍軍は黒田長政を筆頭に上から下まで、みんなが勇敢に戦い、多くの手柄をあげた。なかでも、黒田三左衛門と後藤又兵衛の働きは見事であった。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「黒田長政が漢城に撤退した理由のあらすじとネタバレ」へ続く。

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