黒田長政が漢城に撤退

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「黒田長政が漢城に撤退した理由のあらすじとネタバレ」です。

このページは「江陰城の戦い-白川城の戦いのあらすじとネタバレ」へ続く。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■黒田長政が漢城へ撤退
明(中国)が攻めてくると、漢城(ハンソン=現在のソウル)に居る日本軍総大将・宇喜多秀家は、朝鮮軍事奉行の石田三成らと話し合い、各地の武将を漢城に集め、漢城の守備を固める事を決定した。

軍師・黒田官兵衛(黒田如水)が以前に提案した作戦を、今になって朝鮮軍事奉行・石田三成らが今になって採用したのである。

さて、江陰城と漢城の間には、開城があり、開城には6番隊・小早川隆景が入っていた。

漢城の守備を固めると決めた朝鮮軍事奉行・石田三成は、安国寺恵瓊を使者として、開城に送った。

そして、安国寺恵瓊は、小早川隆景や諸将に「各人は小勢なので、大軍を防ぐことは出来ない。明軍を漢城の近くにある広い場所へおびき寄せ、味方の勢力を併せて戦おう」と、漢城への撤退を求めた。

これに対して、黒田長政は「この地は要害なので、大軍が来たとしても、防ぎ戦うことは難しくない。かねてから守りを固めた城なのに、大軍で攻められると聞けど、一戦もせずに引くことは日本の武将の恥辱なり」と答えた。

小早川隆景や毛利秀包も黒田長政と同じ答えだったので、漢城(ハンソン)の石田三成らは驚いて「いずれも良き大将なので、弁舌の者をもう一度派遣し、漢城へ引いてもらおう」と言い、今度は大谷吉継を開城に派遣した。

大谷吉継は小早川隆景を諫め、黒田長政や毛利秀包に使者を送り、大勢に対して小勢で戦うことが不利であることを説明し、言葉を尽くして説得したので、小早川隆景・黒田長政・毛利秀包も理に伏して漢城へと引き上げた。

■黒田長政と明軍の戦い
小早川隆景・黒田長政・毛利秀包が漢城へ引き上げている路に、大河があった。

小早川隆景・黒田長政・毛利秀包は、この大河の端で1泊していると、明軍(中国軍)が攻めてきた。高いところから見渡すと、明軍(中国軍)は数万の軍勢だった。

黒田長政は「味方は都合2~3万なので、ちょうど良い具合の相手なり。江南人(中国人)はことごとく騎馬武者なので、弓鉄砲で馬を射よ。人を射てはいけない。敵は馬を射られて空立ちになれば、役に立たない」と下知した。

小早川隆景は大軍だったので、明軍(中国軍)の正面から攻撃し、黒田長政・毛利秀包は小勢だったので山上へ回り、明軍(中国軍)の側面から攻撃した。

日本軍の先手は、黒田長政の作戦通り、弓鉄砲で明軍(中国軍)の馬を多く射ると、馬を失った江南人(中国人)は日本人のように戦う事が出来なくなった。

黒田長政・毛利秀包は、これに勢いづいて散々に戦ったので、明軍(中国軍)は恐れをなして退却した。

黒田長政・毛利秀包は追いかけて、敵を多く討ち取るが、老巧な小早川隆景が「敵は大軍なり。一度に引き返してきたら大事に及ぶ」と諫めたので、黒田長政・毛利秀包は深追いをせずに退却し、文禄2年(1593年)1月16日に漢城へと入った。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「黒田長政と碧蹄館の戦いのあらすじとネタバレ」へ続く。