小早川隆景と権慄-幸州山城の戦い

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「小早川隆景と権慄-幸州山城の戦いのあらすじとネタバレ」です。

このページは「豊臣秀吉の耳塚(鼻塚)のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■小早川隆景と権慄-幸州山城の戦い
冊封国(属国)・李氏朝鮮の救済に乗り出した明の大将・李如松は、平壌城を奪還した後、漢城へ侵攻したが、碧蹄館で日本軍に敗れ、命からがら開城へと逃げ帰り、大軍で守りを固めた。

一方、日本軍は碧蹄館で明軍に勝利したものの、明軍は李氏朝鮮軍より強いうえ、大軍で守りを固め居ているため、開城を攻める事が出来ず、いたずらに時間を過ごした。

このようななか、開城に「加藤清正の軍勢が平壌城を狙っている」という噂が流れた。この噂を聞いた李如松は、これ幸いと、噂に便乗して、「平壌城の守りを固める」と言い、平壌城まで撤退した。

一方、漢城の日本軍は深刻な兵糧不足に陥っていた。さらに、明軍の到来して以降、朝鮮人による一揆が激しくなり、日本軍は一揆の鎮圧に迫られた。

このようななか、朝鮮半島南西部の全羅道(赤国)の大将・権慄(クォン-ユル)は、明軍が李氏朝鮮の救済に乗り出したことを受け、2300の手勢を率いて漢城の北西1.5kmに位置する幸州山城に立てこもり、漢城を脅かした。

権慄(クォン-ユル)は、老齢であったが、士卒に先んじて戦い、快進撃を続ける日本軍を「錦山の戦い」で破り、日本軍の勢いを止めた猛将である。

朝鮮半島に上陸した日本軍は、連戦連勝で勝ち進み、李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン=現在のソウル)を占領したあと、朝鮮八道の征伐に乗り出した。

このとき、全羅道(赤国)の征伐を担当したのが、6番隊の小早川隆景・立花宗茂であった。

6番隊の小早川隆景・立花宗茂は全羅道(赤国)の入り口にある錦山において、老将・権慄(クォンユル)と合戦に及んだが、敗北して全羅道(赤国)の征伐に失敗した(錦山の戦い)。

このため、小早川隆景は、幸州山城に立て籠った老将・権慄(クォンユル)を大いに恐れ、大軍を率いて幸州山城に立て籠った老将・権慄を攻めたのである。

文禄2年(1593年)2月12日、小早川隆景は、小西行長を先鋒に3万の大軍で、権慄(クォンユル)が守る幸州山城で攻めた。このとき、黒田長政は第3陣を勤めた。

幸州山は道は細く、断崖絶壁で、攻めるに難しい堅城だったうえ、幸州山城に籠もる李氏朝鮮軍が必死の抵抗を見せた。

同日夕方、日本軍は大きな被害を受けながらも、権慄を幸州山城の本城まで追い詰め、落城は目前に迫った。

ところが、権慄(クォンユル)に同調した青国(京畿道)の水軍大将・李蘋(イピン)が、水軍を率いて漢江(ハンガン=大河の名前)を上ってきたため、日本軍は退路を断たれることを恐れて漢城へ撤退した。

こうして、李氏朝鮮の権慄(クォンユル)は、少数の李氏朝鮮軍で日本の大軍から幸州山城を守り切った。日本軍は、総大将の宇喜田秀家が重傷を負い、石田三成・吉川広家・前野長康なども負傷する有様で、大勢の死傷者を出した。

しかし、李氏朝鮮軍も被害が大きく、日本軍が漢城へ撤退すると、権慄(クォンユル)は、再び日本軍が攻めてくることを恐れ、死んだ日本兵の死体を集め、四肢を切り裂き、木に吊して鬱憤を晴らした後、坡州山城へと撤退したのであった。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「豊臣秀吉が黒田官兵衛に朝鮮出兵を命じた理由のあらすじとネタバレ」へ続く。

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