黒田節の由来は母里太兵衛と福島正則

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「黒田節の由来は母里太兵衛と福島正則のあらすじとネタバレ」です。

このページは「実話・黒田長政と加藤清正の虎退治(虎狩り)のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■母里太兵衛と福島正則
文禄2年(1593年)、日本と明軍(中国軍)との間で休戦が成立すると、豊臣秀吉は朝鮮半島に築いた倭城(日本式の城)の警備に諸将を残し、大半の日本軍を帰国させた。
文禄3年(1594年)、朝鮮半島に残っていた日本軍も帰国し、名護屋城に留まっていた諸将も自国へと帰った。

一方、豊臣秀吉は伏見城を造営して、周囲の土地を諸大名に与え、邸宅を建てさせた。黒田長政もこのとき、伏見城に土地を賜ったので、伏見に屋敷を作った。

さて、朝鮮半島から黒田長政が伏見の黒田屋敷に滞在していたときのことである。

ある日、黒田長政は、家臣の母里太兵衛(母里友信)を呼び、伏見にある福島正則邸へ使いを頼んだ。

母里太兵衛(母里友信)は黒田家の武将を代表する黒田24騎の1人で、常に先陣で武功をあげ、豊臣秀吉が部下にしようとしたが、黒田如水(黒田官兵衛)が断った程の武将である。

当時、陣中で抜き身の槍(鞘から抜いた槍)を持ち歩くことは禁じられていたが、豊臣秀吉は朝鮮出兵を前に母里太兵衛(母里友信)の武功をたたえ、母里太兵衛(母里友信)に抜身の槍15を与え、陣中で抜き身の槍15本を持つことを許している。

さて、福島正則邸へ行った母里太兵衛(母里友信)が用事を終えて帰ろうとすると、宴会をしていた福島正則が母里太兵衛(母里友信)を呼び止め、「酒を飲め」と強要した。

母里太兵衛(母里友信)は大酒飲みであったが、黒田長政の使いで来たので丁重に酒を断ると、酔っていた福島正則は「酒を飲み干せば、望みの品を何なりと与える」と母里太兵衛(母里友信)を挑発した。

すると、母里太兵衛(母里友信)は「あの槍を賜るなら、この大盃を空けてご覧に入れます」と答えた。

母里太兵衛(母里友信)が求めた槍は、長さ2・3メートルの大槍で、豊臣秀吉が福島正則に与えた名槍「日本号」であった。

しかし、酒に酔っていた福島正則は、そのことを忘れており、「よし、飲み干せばあの槍を与えよう」と約束した。

すると、母里太兵衛(母里友信)は大盃に注がれた酒を飲み干し、約束通り、名槍「日本号」を貰って帰った。

翌日、酔いから冷めた福島正則は、慌てて母里太兵衛(母里友信)に「あの槍は太閤殿下から賜った家宝。どうかお返し願いたい」と再三にわたり頼んだが、母里友信は名槍「日本号」を返さなかった(母里太兵衛の飲み取り事件)。

その後、母里太兵衛(母里友信)は第2次朝鮮出兵(慶長の役)に名槍「日本号」を持参し、日本号で李氏朝鮮軍を田楽刺しにして無双の活躍をした。

(注釈:黒田24騎の1人・母里太兵衛の生涯のあらすじとネタバレは「母里太兵衛(母里友信)の生涯のあらすじとネタバレ」をご覧ください。)

■黒田節の由来は母里太兵衛
後に、母里太兵衛(母里友信)が酒を飲んで名槍「日本号」を得たエピソードを元に福岡藩士の高井知定が歌詞を書き、「筑前今様(ちくぜんいまよう)」に合わせて歌われた。この歌が「黒田節」と呼ばれるようになった。これが、黒田節の由来である。

この名槍「日本号」は代々、母里家で引き継がれたが、明治時代に売却されたが、福岡藩士から炭鉱王となった安川敬一郎が買い戻し、黒田家に献上した。そして、昭和初期に黒田家から福岡市に寄贈された。

なお、炭鉱王・安川敬一郎は安川電機の創始者である。山崎豊子の小説「運命の人」に登場する安西電気のモデルが安川電機である。

山崎豊子の小説「運命の人」の実話は「外務省機密漏洩事件(西山事件)のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

山崎豊子の小説「運命の人」の登場人物の実在するモデルは「「運命の人」の実在のモデル」をご覧ください。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「秀次事件-豊臣秀次は殺生関白のあらすじとネタバレ」へ続く。

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