軍師・黒田如水-赤国(全羅道)征伐

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「赤国(全羅道)征伐のあらすじとネタバレ」です。

このページは「李舜臣と朝鮮水軍の滅亡のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■明・李氏朝鮮連合軍の動向
慶長2年(1597年)、豊臣秀吉は李氏朝鮮との和平交渉が決裂すると、小早川秀秋を総大将、黒田如水(黒田官兵衛)を後見人とする14万の大軍を朝鮮半島へ派遣した。

これを受けた明(中国)は冊封国(属国)の李氏朝鮮を救うため、ケイカイ・楊鎬・劉挺・麻貴の4人を大将とした大軍を起こして李氏朝鮮へ派遣した。

その一方で、明は、日本が再び朝鮮へ攻め入るのは石司馬の罪であるとして、明の朝鮮担当者・石司馬を投獄した。石司馬は3年後に牢獄で死んだ。欺瞞外交の張本人・沈惟敬も牢獄に入れられ、3年後に処刑された。

また、李氏朝鮮も兵を整え、明・李氏朝鮮連合軍が、要所を固めて、日本軍を待ち構えた。

■赤国(全羅道)征伐
朝鮮半島南東部にある白国(慶尚道)の釜山に上陸した日本軍は慶長2年(1597年)8月、軍を2手に分けて赤国(全羅道)征伐を開始した。

毛利秀元を大将とする右軍は陸路を北上してから西へ進んで赤国(全羅道)へと侵攻し、宇喜多秀家を大将とする左軍は海路から西へ進んで赤国(全羅道)へと侵攻した。

朝鮮半島南西部の赤国(全羅道)には南原城という要所があり、海路から西へ進んだ左軍・宇喜多秀家は白国(慶尚道)にある泗川から上陸すると、北西へと進路を取り、赤国(全羅道)へと侵攻し、慶長2年8月12日に南原城を包囲した。

明・李氏朝鮮連合軍は南原城に4000の兵を入れて守りを固めていたが、左軍・宇喜多秀家は3日で南原城を落とし、明・李氏朝鮮連合軍4000を全滅させた。

一方、陸路を進んだ右軍・毛利秀元は慶長2年(1597年)8月16日、白国(慶尚道)にある黄石山城を攻め、その日のうちに黄石山城を攻め落とした。そして、西へと進み、赤国(全羅道)へと侵攻した。

赤国(全羅道)北部には全州城があり、明・李氏朝鮮連合軍が全州城を守っていたが、全州城の守将は南原城の落城を聞き、全州城を放棄して逃げた。

慶長2年(1597年)8月19日、左軍・宇喜多秀家が全州城へ無血入城を果たし、赤国(全羅道)の征伐を完了する。

その後、右軍・毛利秀元の全州城へ入城すると、日本軍は全州城で軍議を開き、右軍・中軍・左軍の3軍に別れて北上し、青国(忠清道)へ侵攻する事を決議した。

黒田長政は、右軍・毛利秀元に属して北上し、青国(忠清道)へと侵攻することになる。

さて、明・李氏朝鮮連合は、青国(忠清道)に流れる錦江を防衛線として兵を展開していたが、青国(忠清道)の兵は赤国(全羅道)での敗戦を知ると北へと逃げたため、作戦の変更を余儀なくされた。

明(中国)の大将・麻貴は李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン=現在のソウル)を放棄して鴨緑江を防衛線といする作戦を提案したが、麻貴の提案は退けられ、平壌城に駐留していた明の大将・楊鎬が南下して漢城へと入った。

漢城に入った明の大将・楊鎬は、麻貴を青国(京畿道)にある水原へと南下させた。水原に着いた麻貴は、明の大将・解生を南下させ、青国(忠清道)の北部にある稷山を守らせた。

一方、李氏朝鮮も青国(京畿道)の南端にある竹山に兵を入れ、日本軍の北上に備えたのであった。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「黒田長政と稷山の戦い-青国(忠清道)征伐のあらすじとネタバレ」へ続く。