黒田長政が黒田如水の家臣・山中市内に激怒

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ関ヶ原の戦い編「黒田長政が黒田如水の家臣・山中市内に激怒したあらすじとネタバレ」です。

このページは「後藤又兵衛の計略-黒田長政が黒田三左衛門に激怒したあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■黒田長政が山中市内に激怒
清洲城(愛知県清須市)に集まった東軍の諸将は、江戸から動かない徳川家康に出陣を促すため、美濃(岐阜)へと侵攻して尾越川(木曽川)を押し渡り、岐阜城を攻め落とした。

また、東軍の黒田長政は合渡川(木曽川)の戦いにおいて、西軍・石田三成らを撃破し、西軍を大垣城へ押し戻した。

そして、黒田長政ら東軍は、慶長5年(1600年)8月23日に、西軍の本拠・大垣城から30町(32km)の場所にある岡山という小山の周辺に布陣して、徳川家康の着陣を待った。

東軍の諸将は徳川家康から戦を禁じられたため、徳川家康が小山に到着する慶長5年(1600年)9月13日まで、敵を目前にしながら、いたずらに時間を過ごすことになる。

そのようななか、豊前の中津城(大分県中津市)に居る父・黒田如水(黒田官兵衛)の家臣・山中市内が黒田如水の書状を持って、黒田長政の陣営にやってきた。

山中市内が持って来た父・黒田如水(黒田官兵衛)の手紙には「上方で石田三成が挙兵したという知らせが届いた。私は豊前・中津(大分県中津市)で挙兵して石田三成に味方する敵地へ攻め入り、徳川家康に忠を尽くすので、黒田長政も我と志を同じくして、徳川家康に属し、徳川家康の下知に従うべし」と書いてあった。

以前から度々、父・黒田如水(黒田官兵衛)からの手紙は届いていたが、今回の手紙は子細に書いてあったので、手紙を読んだ黒田長政は、黒田如水の家臣・山中市内に「この度の書状は子細に書いてある。すまぬが、汝はこのまま江戸へ行き、この手紙を徳川家康に届けて欲しい」と命じた。

しかし、山中市内は「豊前・中津(大分県中津市)よりはるばる来た私に、関東へ行けと申されるとは、温情が無い。別人に申しつけられよ」と命令を拒否した。

それを聞いた黒田長政は「私も父・黒田如水(黒田官兵衛)と同じく、お前の主人だ。それほど疲れているのであれば、そこから動くな」と激怒した。

すると、山中市内は「豊前からこの地へ来るのに苦労したため、関東へ行くのが嫌だと言っているのではない。私がこの任務を命じられたとき、黒田如水(黒田官兵衛)は既に出陣の沙汰を始めていたが、君命なので不本意ながらこの地に来た。聞くところによると、この地でも近々、戦があるというではないか。私が関東へ行けば、豊前でも戦えず、この地でも戦に参加できないではない。黒田長政は自分に仕える者を贔屓して、黒田如水(黒田官兵衛)に仕える者には温情も無いのか」と嘆いた。

(注釈:本国の豊前・中津に居た黒田如水は、これまで蓄えていた金銀を放出して浪人を集め、隣国・豊後へと侵攻する準備を始めていた。詳しくは、九州の関ヶ原の戦い編「黒田官兵衛(黒田如水)-九州の関ヶ原の戦いのあらすじとネタバレ」をご覧下さい。)

これを聞いた黒田長政は「誠に山中市内の言う通りだ。関東へ行けと命じたのは私の過ちである」と言って怒りを静め、黒田如水(黒田官兵衛)の手紙は赤坂に布陣する徳川家康の家臣・井伊直政に届けた。

こうして、黒田如水の家臣・山中市内は、黒田長政の手勢に加わり、関ヶ原の戦いに臨んだが、関ヶ原のどこかで討ち死にしたと伝わる。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ関ヶ原の戦い編「徳川家康が激怒-徳川秀忠が関ヶ原の戦いに遅刻した理由のあらすじとネタバレ」へ続く。