細川忠興が細川ガラシャの幽閉を解く

NHK大河ドラマでもお馴染みの明智光秀の娘・細川ガラシャ(明智珠)の生涯を実話で紹介する「実話・細川ガラシャ婦人の生涯のあらすじとネタバレ」の「細川ガラシャの幽閉を解くあらすじとネタバレ」です。

このページは「本能寺の変と細川ガラシャの幽閉のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話・細川ガラシャの生涯の目次は「実話・細川ガラシャの生涯のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。

■明智珠(細川ガラシャ)の再婚
織田信長の家臣となった細川藤孝は、天正8年(1580年)に明智光秀の助けを得て、丹後(京都府北部)の南部を平定し、織田信長から丹後を拝領した。

丹後の北部には、丹後の旧領主・一色義清が依然として勢力を誇っていたが、細川藤孝は娘を一色義清と結婚させて和議を結び、丹後の北部を一色義清が支配し、丹後の南部を細川藤孝が支配した。

そのようななか、天正10年(1582年)6月、明智光秀が本能寺の変を起こして、主君・織田信長を討ち取ったのである。

織田信長を討ち取った明智光秀は、再三にわたり、細川藤孝に上洛を求めたが、細川藤孝は明智光秀を拒絶し、剃髪して「細川幽斎」を名乗り、家督を細川忠興に譲って隠居した。

一方、丹波(京都府中央部)の北部を支配する豪族・一色義清は、織田信長を討ち取った明智光秀に与して、旧領地を回復するため、丹波の各地で一揆を起こした。

細川忠興はこれを好機に一色義清を攻めたが、周辺の豪族が旧領主・一色義清に味方したので、細川忠興は一色義清を攻め滅ぼすことが出来なかった。

そこで、細川忠興は一計を案じ、天正10年(1582年)9月に一色義清を、細川忠興の居城・宮津城に招いて、饗応の席で一色義清を討ち取り、丹後北部を完全に平定した。

また、細川忠興は丹後の一揆鎮圧に当る一方で、山崎の戦いにも家臣を出し、大きな被害を受けた。

細川忠興は明智光秀の縁者であったが、その功績が認められ、清洲会議で織田信長の後継者となった羽柴秀吉から、丹後一国を安堵された。また、謀反人の娘となった明智珠(細川ガラシャ)の罪も問われることはなかった。

その後、羽柴秀吉は天正11年(1583年)4月に柴田勝家を撃破して自害に追い込みんだ。翌年の天正12年(1584年)、羽柴秀吉は織田信雄と徳川家康の連合軍との戦いになるが、政治力を使って戦いに勝利した(小牧・長久手の戦い)。

天正12年(1584年)、明智珠(細川ガラシャ)は、羽柴秀吉の取りなしによって幽閉を解かれ、夫・細川忠興の居城・宮津城に戻り、細川忠興と再婚した。

明智珠(細川ガラシャ)が幽閉を解かれ、細川忠興と再婚したのは、明智珠(細川ガラシャ)が22歳の事であった。

■細川ガラシャと羽柴秀吉の逸話
細川ガラシャと羽柴秀吉の逸話があるので、紹介しておく。ただし、この逸話は実話では無く、後世の創作と思われる。

戦国時代は「衆道」と言って男色の武将が多かったが、羽柴秀吉は無類の女好きだったので、幽閉から解かれた明智珠(細川ガラシャ)に拝謁を命じた。

しかし、明智珠(細川ガラシャ)は、父・明智光秀が羽柴秀吉によって討たれたことを恨んでおり、羽柴秀吉の命令を拒否した。拝謁を強要されれば、懐刀で羽柴秀吉と差し違える覚悟であった。

明智珠(細川ガラシャ)の決意を聞いた夫・細川忠興は、明智珠(細川ガラシャ)の心意気に感心し、羽柴秀吉に「明智珠(細川ガラシャ)は謀反人の娘で、男気があります。近づけるのは危険ではないでしょうか」と忠告した。

すると、羽柴秀吉は細川ガラシャ(明智珠)に会うことを諦めたという(細川ラシャの逸話)。

細川ガラシャ(明智珠)の事を異常に愛する夫・細川忠興は、女好きの羽柴秀吉から細川ガラシャ(明智珠)を守るため、幽閉後の細川ガラシャ(明智珠)を屋敷の置くに閉じ込めるようになったと伝わる。

■大阪・玉造の細川屋敷へ移る
天正12年(1584年)、明智珠(細川ガラシャ)は、羽柴秀吉の取りなしによって幽閉を解かれ、夫・細川忠興の居城・宮津に戻り、細川忠興と再婚した。

さて、大阪城を築いた羽柴秀吉は、大阪城の付近を各大名に屋敷を作らせ、大阪の屋敷に大名の妻子を住まわせた。妻子は実質的な人質であった。

細川忠興は大阪城の南にある玉造という場所に屋敷を作っており、明智珠(細川ガラシャ)も玉造の細川屋敷に住むようになる。

夫・細川忠興の愛情は異常さを増しており、明智珠(細川ガラシャ)は屋敷の奥に監禁され、家臣2人に監視された。侍女も奥向き用の侍女と、それ以外の侍女に分けられた。

明智珠(細川ガラシャ)の外出が許されたのは、本国・丹後と大阪・玉造の細川屋敷の移動だけで、それ以外は外出を禁止されていた。

明智珠(細川ガラシャ)は幽閉生活を解かれたが、細川家に復帰しても、幽閉生活と同様の生活を送ることになる。

そして、幽閉から解かれた翌年の天正13年(1585年)、明智珠(細川ガラシャ)が3男・細川忠利を産む。

明智珠(細川ガラシャ)が3男・細川忠利を産んだのは、明智珠(細川ガラシャ)が23歳のことであった。

実話・細川ガラシャ(明智珠)の生涯のあらすじとネタバレの「細川ガラシャがキリスト教の教会へ行くあらすじとネタバレ」へ続く。

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