清原マリアの洗礼と小笠原秀清(小笠原少斎)

NHK大河ドラマでもお馴染みの明智光秀の娘・細川ガラシャ(明智珠)の生涯を実話で紹介する「実話・細川ガラシャの生涯のあらすじとネタバレ」の「清原マリアの洗礼と小笠原秀清(小笠原少斎)の黒幕は細川ガラシャのあらすじとネタバレ」です。

このページは「細川ガラシャがキリスト教の教会へ行くあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話・細川ガラシャの生涯の目次は「実話・細川ガラシャの生涯のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。

■清原マリアの洗礼
明智珠(細川ガラシャ)の侍女頭に「清原いと」(後の清原マリア)が居た。清原いと(清原マリア)の父親は清原枝賢とされる。

父・清原枝賢は公卿だったが、引退後は儒学者として活動し、松永久秀などに儒学を教えていた。

しかし、父・清原枝賢は松永久秀の要請でキリシタンと論戦を行った結果、父・清原枝賢はキリスト教に改宗し、キリシタンとなった。

侍女頭の清原いと(清原マリア)は、父・清原枝賢の影響で儒学とキリスト教の知識に長けており、苦悩する明智珠(細川ガラシャ)に大きな影響を与えたとされている。

天正15年(1587年)、この清原いと(清原マリア)が、明智珠(細川ガラシャ)が教会を訪れた後に洗礼を受け、清原マリアと呼ばれるようになる。

なお、明智珠(細川ガラシャ)が丹後国の味土野(京都府京丹後市弥栄町)で幽閉されたとき、清原いと(清原マリア)が明智珠(細川ガラシャ)に付き従ったと言う説があるが、真偽は不明である。

■明智珠(細川ガラシャ)が信仰を深める
夫・細川忠興に外出を禁じられている明智珠(細川ガラシャ)は、天正15年(1587年)2月11日に教会を訪れて以降、教会に行くことは出来なかった。

そこで、明智珠(細川ガラシャ)は、ことある毎に理由を付けて侍女を教会へ派遣し、キリスト教に関する質問をするようになった。

そして、明智珠(細川ガラシャ)は侍女を通じて教会から書物を受け取り、キリスト教への信仰を深めていくと同時に、侍女に洗礼を受けるように勧め、清原いと(清原マリア)など計17人に洗礼を受けさせた。

幽閉状態にあった明智珠(細川ガラシャ)は苦悩して鬱病を発症していたが、キリスト教への信仰を深めて行くことにより、忍耐強く、穏やかになっていったという。

明智珠(細川ガラシャ)は周りの人間に洗礼を受けさせることはできたが、明智珠(細川ガラシャ)自身は洗礼を受けることが出来ず、洗礼への欲求はより一層、強くなっていった。

■小笠原秀清(小笠原少斎)の改宗
細川忠興の家老に小笠原秀清(小笠原少斎)という人が居た。小笠原秀清(小笠原少斎)は、大阪・玉造の細川屋敷で明智珠(細川ガラシャ)を警備・監視する任務を任されていた。

細川忠興が豊臣秀吉の九州征伐に参加して九州へ下向している間も、小笠原秀清(小笠原少斎)は玉造の細川屋敷で明智珠(細川ガラシャ)の警護・監視を担当していた。

細川屋敷に閉じ込められている明智珠(細川ガラシャ)は、侍女を教会へ派遣して疑問を解消することで、キリスト教への信仰を深めていくと当時に、侍女17人に洗礼を受けさた。

しかし、外出できない明智珠(細川ガラシャ)自身は洗礼を受けることが出来ず、「洗礼を受けたい」と強く思うようになっていた。

そのようななか、頻繁に監視の目をかいくぐって侍女を派遣するのも限界があるため、明智珠(細川ガラシャ)は監視を担当している小笠原秀清(小笠原少斎)をキリスト教へ改宗させようと考えた。

そこで、明智珠(細川ガラシャ)は小笠原秀清(小笠原少斎)に「父・明智光秀の年忌です。私たちの習慣では、父上の霊前に供物を差し上げることになっていますが、キリスト教では、私たちの習慣は無益であり、偽りであると、侍女から聞きました。父上がお喜びにならない事をするのは、道に外れた行為です。貴方は教会へ行って司祭から話を伺い、貴方の意見も添えて報告して下さい」と頼んだ。

そして、小笠原秀清(小笠原少斎)は明智珠(細川ガラシャ)の命令に従って教会を訪れた。教会は明智珠(細川ガラシャ)から計画を聞いていたのであろう。教会は、小笠原秀清(小笠原少斎)に説法をする日本人の宣教師を用意していた。

その結果、小笠原秀清(小笠原少斎)は妻子にキリスト教の洗礼を受けさせ、小笠原秀清(小笠原少斎)自身もキリスト教の洗礼を受けることにした。

その後、豊臣秀吉がバテレン追放令を発令したので、小笠原秀清(小笠原少斎)が実際に洗礼を受けたかどうかは分らないが、豊臣秀吉のバテレン追放令が明智珠(細川ガラシャ)に洗礼を受ける切っ掛けを作る事になるのである。

実話・細川ガラシャ(明智珠)の生涯のあらすじとネタバレの「細川ガラシャが洗礼を受けるあらすじとネタバレ」へ続く。

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