天皇の料理番・秋山徳蔵の子供・子孫

ドラマ・原作小説「天皇の料理番」の主人公となる秋山徳蔵の生涯をあらすじとネタバレで描く「実話・天皇の料理番・秋山徳蔵のあらすじとネタバレ」の子孫編「天皇の料理番・秋山徳蔵の子供と息子」です。

天皇の料理番・秋山徳蔵のあらすじとネタバレの目次は「実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ」です。

■天皇の料理番・秋山徳蔵の子供・子孫
天皇の料理番・秋山徳蔵の子供は、長男・秋山匡、長女・秋山栄子、次男・秋山鉄蔵、三男・秋山三郎、四男・秋山四郎の5人です。

長男・秋山匡、長女・秋山栄子、次男・秋山鉄蔵は前妻・秋山俊子との間に生まれた子供で、三男・秋山三郎、四男・秋山四郎の2人は後妻「岸本きく」との間に生まれた子供です。

■天皇の料理番・秋山徳蔵の子供のあらすじとネタバレ
秋山徳蔵(旧姓・高森徳蔵)は福井県南条郡武生町で、料理屋の次男として生まれ、鯖江36連隊の厨房でカツレツと出逢い、西洋料理の料理人を志す。

明治37年(1904年)、秋山徳蔵は16歳で東京へ出て、同年8月に華族会館に就職する。その後、築地精養軒を経て三田東洋軒の4代目料理長に就任する。

明治42年(1909年)、秋山徳蔵は築地精養軒の料理長・西尾益吉の影響を受けて、本場フランスで西洋料理の修業をする。

明治45年(大正元年)7月に明治天皇が崩御し、大正天皇が即位する。

翌年の大正2年(1913年)3月、秋山徳蔵は日本大使館から大正天皇の即位の大礼に出す料理を依頼されて帰国するが、身元調査に時間が掛かるため、東京倶楽部の料理部長に就任する。

その一方で、秋山徳蔵(24歳)は同年7月、双葉女学校に通っていた秋山俊子(17歳)と結婚する。

そして、身元調査が終わり、同年10月に宮内省大膳寮に就職し、同年11月に宮内省大膳寮の司厨長に任命され、「天皇の料理番」となる。

妻・秋山俊子は大正3年(1914年)1月に長男・秋山匡を出産し、大正5年(1916年)3月に秋山栄子を出産する。さらに、大正9年(1920年)5月に次男・秋山鉄蔵を出産する。

しかし、昭和元年(1926年)ごろに妻・秋山俊子は肺結核を発症し、昭和3年(1928年)1月に死去する。

秋山徳蔵は妻・秋山俊子を愛しており、妻・秋山俊子から死に際に渡された形見の鈴を眺めて放心状態が続いていたが、昭和4年(1929年)2月に「岸本きく」と再婚する。

そして、後妻「岸本きく」は、昭和4年(1929年)11月に男・秋山三郎を出産し、昭和11年(1936年)8月に四男・秋山四郎を出産する。

以上、4男1女の計5人が天皇の料理番・秋山徳蔵の子供です。

天皇の料理番・秋山徳蔵の年表は、「天皇の料理番・秋山徳蔵の年表のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。