栗塚省吾(くりづか・せいご)の生涯

ドラマ・原作小説「天皇の料理番」の主人公となる秋山徳蔵の生涯をあらすじとネタバレで描く「実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ」の番外編「栗塚省吾の生涯のあらすじとネタバレ」です。

実話・天皇の料理番の目次は「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧下さい。

■注釈
ここで紹介する栗塚省吾(くりづか・せいご)は、TBSのドラマ「天皇の料理番」に登場する桐塚尚吾(武田鉄矢)のモデルとなった人物です。

■実話・栗塚省吾(くりづか・せいご)の生涯
栗塚省吾は嘉永6年(1853年)11月16日に福井藩の支藩・府中藩の江戸藩邸で生まれた。幼名を幸太郎と名乗った。

栗塚省吾は幼少より漢学を修め、11歳の時に府中藩出身の渡辺洪基に英語を師事したが、江戸幕府がフランスの技術支援を受けて造船所「横須賀製鉄所」を建設し、フランス軍事顧問を招いたこともあり、14歳の時に私塾「達理堂(村上塾)」の村上英俊にフランス語を学ぶようになる。

(注釈:フランス語は外交上の公用語で、江戸時代の後期より、日本でもフランス語の重要性が認識されるようになった。村上英俊はフランス語を独学で学び、安政5年の日仏修好通商条約でフランス語を翻訳したフランス語の先駆者である。)

そして、栗塚省吾は優秀だったため、16歳の時(明治3年)に福井藩の貢進生として斉藤修一郎と共に大学南校(開成学校=後の東京大学)に入学した。

さて、近代化を推し進める明治政府にっとて、法律制度の確立が急務であった。そこで、明治政府は明治5年に司法官を育成・研修する機関「司法省明法寮」を司法省に設置した。

司法省明法寮(後の東京大学法学部)はフランス語とフランス法を学ぶ機関として設立され、全国のエリート中のエリートを集めるため、生徒には給料が出るという特別待遇であった。

司法省明法寮の入試は漢語とフランス語だったため、村上英俊の元でフランス語を学んだり、大学南校などでフランス語を学んだ者が法省明法寮へ入った。栗塚省吾も明治5年に法省明法寮へ入り、法律の勉強に没頭した。

そして、栗塚省吾は明治8年にフランス留学を命じられ、パリ大学で法律を学び、パリ大学で法学死を取得し、明治14年に帰国する。

帰国した栗塚省吾は司法省民部局兼生徒課で勤務し、司法省書記官・司法省民事局長・大審院(最高裁判所)判事部長などの要職を歴任して司法官僚として活躍する一方で、東京大学や日本法律学校の講師などを兼務し、法律方面で活躍した。

■栗塚省吾と大津事件
明治24年(1891年)、ロシア帝国のニコライ皇太子が来日したとき、警備を担当していた滋賀県守山署の巡査・津田三蔵がサーベルを抜いてニコライ皇太子に斬りかかり、ニコライ皇太子を負傷させるという事件が発生する(大津事件=湖南事件)。

このとき、栗塚省吾は司法大臣秘書官をしており、司法大臣・山田顕義と共に犯人・津田三蔵を死刑にするために奔走し、担当判事・木下哲三郎を説得にあたった。

(注釈:大津事件の実話のあらすじとネタバレは「大津事件(湖南事件)のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。)

■栗塚省吾と司法官・弄花事件
明治25年(1892年)、栗塚省吾が大審院(最高裁判所)の判事を務めていたとき、大審院の検事・判事の数人が花札賭博をしていた事が発覚し、大審院の院長・児島惟謙と判事6人(栗塚省吾・中定勝・加藤祖一・岸本辰雄・高木豊三・亀山貞義)が懲戒裁判にかけれる事件が発生する(司法官・弄花事件)。

栗塚省吾も大審院(最高裁判所)の院長・児島惟謙と花札賭博をしていた事から、懲戒裁判に掛けられ、担当判事・木下哲三郎(大津事件で栗塚省吾が説得した判事)から取り調べを受けた。

懲戒裁判所は司法官・弄花事件(ろうか事件)について、「賭博をした事を確認できる証拠は無い」として、院長・児島惟謙ら被告7人に免訴(罪を判断せずに裁判の打ち切ること)を言い渡した。

新聞や世論に道義的な責任を追及され、事態は収拾しなかったため、司法大臣・山縣有が説得に当り、院長・児島惟謙ら数人が依願免官で辞職した。

(注釈:司法官・弄花事件のあらすじと犯人ネタバレは「司法官・弄花事件(ろうか事件)のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。

■栗塚省吾のその後
栗塚省吾は思うところがあって明治31年に退官し、弁護士を開業した。その後、民権の拡張を図るため、明治35年に東京市から出馬して衆議院議員に当選し、その後も2度の当選を果たす。

栗塚省吾は政界に進出する一方で、小湊鉄道や東亜製綱の社長を歴任し、財界でも活躍したが、大正9年(1920年)11月2日に死去した。栗塚省吾は享年66、病死であった。

ドラマ「天皇の料理番」の登場人物のモデルまとめは「天皇の料理番-実在のモデル」をご覧下さい。