初代・天皇の料理番・吉川兼吉の生涯

ドラマ「天皇の料理番」のモデルとなる秋山徳蔵の生涯を描く「実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ」の番外編「初代・天皇の料理番・吉川兼吉の生涯」です。

■注釈
本当の初代・天皇の料理番は、日本書紀などに登場する12代天皇・景行天皇まで遡るので、ここでいう初代・天皇の料理番は、明治時代に宮内省大膳寮が設置され以降、初めての天皇の料理番と呼ばれた人物を指します。

■初代・天皇の料理番は吉川兼吉
吉川兼吉(よしかわ・かねきち)は嘉永6年(1853年)に生まれた。吉川兼吉氏は横浜グランドホテルで西洋料理の修行をした後、迎賓館「鹿鳴館」に就職する。

そして、明治23年に開業した帝国ホテルの初代料理長に就任し、同時の西洋料理業界を代表する調理人の1人となった。

明治38年(1905年)、吉川兼吉は韓国ソウルに置かれた統監府(後の朝鮮総督府)になった伊藤博文から、「李王朝(李氏朝鮮王朝)の料理番になって欲しい。先に明治天皇の料理番になっていただき、明治天皇の料理番として李王朝(李氏朝鮮王朝)に行っていただきたい」と頼まれる。

吉川兼吉は伊藤博文の申し出を断ったが、伊藤博文の国を思う気持ちにうたれ、李王朝(李氏朝鮮王朝)へ行くことを引き受けた。

そして、吉川兼吉は明治39年(1906年)に帝国ホテルを辞め、宮内省大膳寮に就職して明治天皇の料理番となった後、明治40年に李王朝(李氏朝鮮王朝)の料理番となった。

しかし、2年後の明治42年(1909年)、伊藤博文が朝鮮人・安重根に暗殺されたるという事件が発生する。

その結果、明治43年(1910年)に李王朝(李氏朝鮮王朝)が消滅し、吉川兼吉は日本へと帰国した。

明治天皇が明治45年に崩御すると、大正天皇の即位の大礼に備え、フランスのパリで修行していた秋山徳蔵(旧姓は高森徳蔵)が天皇の料理番への就任要請を受けて帰国する。

そして、秋山徳蔵は大正2年10月に宮内省大膳寮へ就職し、大正2年11月に宮内省大膳寮司厨長に任命された。

秋山徳蔵の生涯を描く「実話・天皇の料理番」のあらすじとネタバレは「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧下さい。