天皇の料理番-秋山徳蔵の缶詰窃盗事件

TBSのドラマ「天皇の料理番」のモデル秋山徳蔵の生涯を描く「実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ」の実話編「天皇の料理番-秋山徳蔵の缶詰窃盗事件のあらすじとネタバレ」です。

このページは「天皇の料理番-秋山徳蔵のヨーロッパ修行のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレの目次は「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧下さい。

■天皇の料理番-秋山徳蔵のスープ事件
(注釈:これは秋山徳蔵がフランスで修行していた時の逸話である。秋山徳蔵がどの店で働いていた時のエピソードかは分らないが、オテル・マジェスティックで働いていた時の逸話だろう。)

料理長は気の良い男で、秋山徳蔵も大変かわいがられていたが、料理長にはイタズラが過ぎるところがあった。

ある日、秋山徳蔵は料理長に呼ばれて行ってみると、スープが一杯に入った大鍋が床に置いてあった。いつもは2人で運んでいる大鍋なのだが、料理長は1人で大鍋を持ち上げて、テーブルの上に置けというのだ。

とても1人では持ち上げられないので、秋山徳蔵が「誰か相棒を呼んできます」と言ったが、日本は日露戦争で大国ロシアに勝利して世界を驚かせていたので、料理長は「ジャポネ(日本人)は世界で1番強いんだろ?1人で持ち上げろ」と命じた。

秋山徳蔵は「日本は強くても、1人1人となれば話は別です。こんな大きな鍋を1人で持ち上げることは出来ません」と言ったが、料理長は取り合わない。

秋山徳蔵が怒って「どうしても持ち上げろというのですか?」と確認すると、料理長は「持ち上げろ」と命じたので、秋山徳蔵は鍋を倒して鍋の中のスープを床に全部ぶちまけ、空にした鍋を持ち上げてテーブルの上に置いた。

すると、料理長が「大切なスープに何てことをするんだ」と怒り出したので、秋山徳蔵は「持ち上げろというから、持ち上げたまでです」と答えた。

料理長が「あれは冗談だ。大切なスープをダメにした罪は許せん」と激怒すると、秋山徳蔵は「大切なスープを冗談の材料に使うべきではありません」と言い返した。

料理長と秋山徳蔵が取っ組み合いの喧嘩を始めようとしたとき、支配人が割って入り、「出来ない事を命じてはいけない」と料理長を注意してその場を治めた。そして、スープをダメにした秋山徳蔵にお咎めは無かった。

■秋山徳蔵の柔道
秋山徳蔵がオテル・マジェスティックで働いていたころ、万博の影響でフランスでも柔道(ジュードー)がブームになっていた。

ある日、秋山徳蔵はシェフに「柔道はできるか?」と尋ねられた。秋山徳蔵は柔道の経験は無かったが、「出来ない」と答えるのが嫌だったので「出来る」と答えた。

すると、シェフは「柔道はボクシングよりも強いか。この手を握ってみろ」と言い、秋山徳蔵の手の倍はある太い手を出してきた。

秋山徳蔵がシェフの手を握ったがビクともせず、シェフは「どうだ」と言い、秋山徳蔵の手を握り替えした。

秋山徳蔵は「柔道はこうやるんでしょ」と説明すると、シェフは「やってみろ」という。すると、他のシェフらは、何か始まるぞと言って集まってきた。

秋山徳蔵が「腕が折れますよ」と言っても、シェフは「この腕が折れるもんか。折れてもかまわん、やってみろ」と言うので、秋山徳蔵は仕方なくシェフを投げ飛ばした。

秋山徳蔵は柔道の素人だったが、十分に逆手をとっていたので、大きなシェフを投げることは簡単だった。

背の低い秋山徳蔵が背の高いシェフをぶん投げたので、周りで見ていたコック等はみんな大いに驚いた。

投げられたシェフは手をくじいたらしく、手をブラブラさせながら起き上がってきたので、秋山徳蔵が「やれと言われたので」と謝ると、シェフは苦笑いをしながら「いいんだ」と言い、許してくれた。

その後、シェフは1週間ほど、包帯に腕を吊したまま出勤した。以降、シェフは何かにつけ、柔道(ジュードー)は怖いものだと話したという。

■天皇の料理番-日本大使館の缶詰事件
フランスは日本と違い、料理人の身分は高かった。しかし、日本でもフランスでも、見習いの給料は安かった。

秋山徳蔵は実家から仕送りをもらっていたが、わずかだったので、家賃の支払いや食費などでお金は足りなかった。

土曜日は仕事が休みだったが、休みの日は金を払って食事を外で食事をしなければならないので、仕事を休むのが嫌だった。

しかし、休みの日は良い事もあった。休みの日は町中を歩き回り、市場や食器店を廻った。また、向こうの料理店はウインドウに自慢の料理を飾っていたので、その料理を見て料理の研究をする事が出来た。

さて、秋山徳蔵が金が無いとき、腹が減ってくると、フランスの日本大使館へ行き、日本大使館2階の食堂で女中に、居ない事を承知のうえで「○○君を探してきて」くれと頼み、探しに行かせる。その隙に秋山徳蔵は食堂にある缶詰を盗むのである。

しかし、毎度の事なので、終いには缶詰を窃盗していたことを気づかれてしまい、秋山徳蔵が行くと、女中が「また缶詰ですか」と笑うので、秋山徳蔵は「ちょっとトイレでも行ってこいや」と言ってトイレに行かせ、堂々と缶詰を盗むようになり、秋山徳蔵の缶詰窃盗は半ば大使館の公認となった。

■キャフェ・ド・パリ時代
秋山徳蔵はオテル・マジェスティックで2年半、修行した後、日本大使館の推薦により、パリの高級店「キャフェ・ド・パリ」に勤務する。

キャフェ・ド・パリの料理長が料理組合の会長だったこもあり、秋山徳蔵は料理長の推薦で日本人初の料理組合員になることができ、プリミエ・コミ(シェフの次の資格)の証明書を貰った。

フランスでの料理人の地位は高く、フランス料理組合では現在の年金のような制度も確立しており、料理組合員の証明書は一流料理人の証しであった。

キャフェ・ド・パリは実力によって給料が上がるので、初めは秋山徳蔵の給料は30フランだったが、実力が認められて料理組合員になると、給料も150フランになった。

こうして、秋山徳蔵は日本大使館へ缶詰を盗みに行く必要も無くなり、高級料理店へ食べに行けるようになった。

■天皇の料理番-オテル・リッツ時代
秋山徳蔵はキャフェ・ド・パリで半年、働いた後、日本大使館の推薦により、フランスの名門「オテル・リッツ」で勤務する。

名門「オテル・リッツ」は、秋山徳蔵の築地精養軒の師匠・西尾益吉が修行したホテルである。

このとき、名門「オテル・リッツ」の料理長は、「フランス料理の王様」「近代フランス料理の父」と呼ばれるオーギュスト・エスコフィエであった。

オーギュスト・エスコフィエは、フランス料理を体系づけ、コース料理などを導入し、近代フランス料理を確立してフランス料理の大家で、西尾益吉も師事した料理人である。

こうして、秋山徳蔵は、西尾益吉と同じく、名門「オテル・リッツ」でオーギュスト・エスコフィエに師事し、フランス料理を学んだ。

一説によると、秋山徳蔵はオーギュスト・エスコフィエに西洋料理を学んだ2人目の日本人だという。

さて、秋山徳蔵がオテル・リッツで働いていたとき、日本では明治天皇が崩御し、そのニュースがフランスにも伝わる。

そのニュースを聞いた秋山徳蔵は、牛肉を切っていた手を止め、手で顔を覆って泣き、それから2~3日は放心状態で何もやる気が起きなかった。

それを見た同僚コックは「日本人とは不思議な人種だ」と不思議がった。

■オテル・マジェスティック時代
ところで、秋山徳蔵は日本大使館に、南フランスのニース(地名)にあるオテル・マジェスティック(秋山徳蔵が最初に働いたオテル・マジェスティックの系列店)への斡旋を頼んでいた。

ニースのオテル・マジェスティックは、避暑地にある金持ち相手の高級店である。

秋山徳蔵は名門「オテル・リッツ・パリ」で働いていたとこ、日本大使館からニースのオテル・マジェスティックにコックの空きが出たという知らせがあり、宿願がかなってニースのオテル・マジェスティックへ就職する。

そして、秋山徳蔵がニースのオテル・マジェスティックで働き始めてから7ヶ月が経過したころ、日本大使館から呼び出しがあり、秋山徳蔵はフランスの日本大使館から天皇の料理番への就任を要請されたのである。

実話・天皇の料理番の実話編「秋山徳蔵の生涯-天皇の料理番に就任のあらすじとネタバレ」」へ続く。