天皇の料理番-秋山徳蔵と昭和天皇のフグ事件

TBSのドラマ「天皇の料理番」のモデルとなる秋山徳蔵の生涯を描く「実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ」の実話編「天皇の料理番-秋山徳蔵と昭和天皇のフグ事件あらすじとネタバレ」です。

このページは「天皇の料理番-秋山徳蔵の料理外交のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ目次は「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■天皇の料理番-フグ(河豚)の歴史
日本人とフグ(河豚)の歴史は古く、日本人は縄文時代から鯛・スズキ・フグなどを好んで食べていた。

しかし、戦国時代、天下を統一した豊臣秀吉が朝鮮出兵のために、佐賀県唐津市鎮西町名護屋に名護屋城を建設し、朝鮮出兵の拠点としたところ、名護屋に滞在していた兵士がフグを食べて相次いで死んだため、豊臣秀吉が怒ってフグを禁止した。これがフグ食禁止令の始まりだとされる。

そして、江戸時代にフグの中毒死が相次いだため、各藩がフグを禁じるようになった。ただ、これは武家に対するフグ禁止令なので、庶民はフグを食べていたようである。

その後、明治政府が軽犯罪法でフグを禁止してたため、全国的にフグが禁止された。

しかし、明治21年(1888年)、伊藤博文が山口県下関の旅館「春帆楼」に宿泊したとき、悪天候で良い魚が捕れなかったため、春帆楼の女将は処罰を覚悟で、禁止されているフグを伊藤博文に出した。

フグを食べてその美味さに驚いた伊藤博文が、女将に尋ねると、女将は禁止されているフグであり、フグは調理法さえ間違わなければ、決して死ぬことは無いと説明した。

これを聞いた伊藤博文が山口県知事に働きかけ、明治21年(1888年)に山口県限定でフグが解禁された。

全国的にフグが解禁されて現在のようなフグの調理師免許制度が確立したのは第2次世界大戦後だったこともあり、フグは山口県の特産品となった。

そして、第2次世界大戦後、山口県の田中知事が、昭和天皇にフグを食べさせようとした。これが、昭和天皇のフグ事件の始まりである。

■天皇の料理番-昭和天皇のフグ事件
戦前の天皇は大膳が作った物しか食べてはいけない決まりだったので、行幸の度に大膳も出張しており大騒動であった。牛乳を搾るため、牛まで連れて行くのである。そして、大膳が出張できない場合は、天皇は大膳が作った弁当を持って行くので、塩むすびしか食べられないということもあった。

しかし、第2次世界大戦後、昭和天皇は大膳以外が作った物も食べるようになったので、昭和天皇は行幸先で用意された料理を食べるようになった。これは、大膳の料理しか食べられなかった昭和天皇にとって、楽しみの1つとなった。

昭和天皇を迎える県は、とびきりのご馳走で昭和天皇を接待しようとするのだが、昭和天皇が何を好むのかを知らないので、下検分に来た天皇の料理番・秋山徳蔵に「天皇の好きな食べ物は何か?」と訪ねるのだが、昭和天皇が好きな物を答えると、行く先々で同じ料理になってしまうため、秋山徳蔵は天皇が好きな食べ物を教えなかった。

さて、日本がポツダム宣言を受け入れて敗戦国なった翌年の昭和21年から、昭和天皇は全国巡幸を開始し、昭和天皇は9年をかけて沖縄県以外の全国に行幸した。

そして、昭和22年(1947年)に昭和天皇が全国巡幸で山口県を訪れ、山口県防府市多々良1丁目にある毛利邸に泊まった時のことである。

山口県の田中知事は、天皇の料理番・秋山徳蔵の元を訪れ、「郷土料理のフグを昭和天皇に召し上がって頂きたい」と頼んだ。

田中知事は、調理は万全を期して絶対に間違いの無いようにするので、後は天皇の料理番のである秋山徳蔵の心一つだと言う。

秋山徳蔵も始めは昭和天皇にフグを食べさせる事に躊躇したが、フグが毒を持っている部分さえ取り除けば安全であり、プロの調理人が料理すれば、フグの毒に当ることはない。間違いが起こらない様にすれば良いのだし、こんな美味い物を食べていただけないのは残念だと思い、秋山徳蔵は昭和天皇にフグを出す事に許可した。

そして、昭和天皇にフグ料理を出す2時間前に秋山徳蔵・田中知事などが毒味をして大丈夫ということになり、いよいよ、昭和天皇にフグ料理を出すことになった。

しかし、新聞が「陛下がフグを召し上がった」と報じると、たくさんの国民が「陛下が食べたのだから大丈夫だ」と言ってフグを食べ始め、河豚の毒に当たって死ぬ人も出てくるかもしれないので、侍従長の入江相政が「陛下は前日、熱をお出しになり、健康がまだ悪い」という名目でフグ料理を断った。

フグを食べたい昭和天皇は議論しようとしたが、侍医は「陛下のような偉いお方は、ともかく食べてはいけないんです」と言い、相手にしなかった。

結局、侍医がどうしてもダメだと言って頑なに譲らなかったので、昭和天皇にフグ料理をお披露目するに留まり、召し上がって頂くことは出来なかった。

■天皇の料理番-昭和天皇のフグ議論
山口県でフグを食べられなかった昭和天皇に、再びフグを食べるチャンスが巡ってきた。

戦後、昭和天皇は大膳以外の物を食べるようになったので、お土産や献上品も食べることができた。そこで、常陸宮が待従の東園を通じて昭和天皇にフグを献上したのである。

しかし、昭和天皇は念のため、女官を通じて侍医・杉村昌雄に「フグを食べてもよいか?」と許可を求めると、女官から事情を聞いた侍医・杉村昌雄は、万が一のことがあっては困るので、「困ります。やめていただきます」と答え、許可しなかった。

さて、侍医の仕事に拝診がある。拝診とは、天皇を診察することである。侍医は毎晩の拝診で天皇の脈と体温を測り、月に1回の定期拝診で詳しい診察をする。

侍医が定期拝診を行うのは月に1回だが、侍医は4人のローテーションで働いているので、天皇は週1回の割合で定期拝診を受けることになる。

一方、毎日の拝診は、昭和天皇が寝る直前に昭和天皇の寝室で行われる。昭和天皇の寝る準備が整うと、女中から電話があり、侍医が昭和天皇の寝室へ伺って診察するので、毎日の拝診は夜10時から11時頃に行われた。

そして、拝診は侍医と昭和天皇の2人だけで行われ、拝診の間、皇后陛下は寝室の隣にある化粧室で拝診が終わるのを待っている。待つと言っても、脈と体温を測るだけなので、それほど時間はかからない。

(注釈:皇后陛下に毎日の拝診は無く、月1回の定期拝診だけである)

さて、昭和天皇が女官を通じて侍医・杉村昌雄に「フグを食べてもよいか?」と尋ねた日から数日後の事である。

侍医・杉村昌雄が、いつものように寝室で昭和天皇を拝診し、脈と体温を測り終えて退室しようとすると、昭和天皇は侍医・杉村昌雄を呼び止め、「杉村はフグは、いけないと言ったそうだね。どうしていけないのか?」と訪ねた。

侍医・杉村昌雄はすっかり終わった事だと思っていたので、突然の質問にしどろもどろになりながらも、「フグだけは、どうしても、お召し上がりになっては、いけない事になっております」と答え、フグの毒や宮中の慣習について説明した。

すると、昭和天皇は「杉村はそういう事を言うが、せっかくヨシ坊(フグを送ってきた常陸宮の愛称)が東園を通じて持ってきたものだから、絶対、大丈夫だ。そんな、杉村みたいなことを言うなら、東園は不忠の臣か?」と問うた。

侍医・杉村昌雄は「とんでもございません。東園さんは大変、忠義な方で、そんな不忠の臣にはあたりません。しかし、陛下がフグをお食べになるのは、ともかくお止め願いたいと申しているだけでございます」と答えた。

すると、昭和天皇は「フグの料理は東京都の許可を受けた者でなければ出来ないという。東園の持ってきたフグは、料理人が東京都の許可を得て、やっておるのだから、よいではないか」と言い出した。

侍医・杉村昌雄は「それはもう、重々、私も知っておりますが、たとえライセンスのある料理人がやりましても、何かの拍子にフグの毒が陛下の口に入らないとも限りません。それで、どうという事があったら、たいへん恐れ多いことになります。また、侍医の責任も大となりますから、是非やめていただきたいと思います」と答えた。

すると、昭和天皇は「杉村はそういう事を言うけれども、それでは、フグはどういうふうに料理し、また、どういうフグに毒が有るのか無いのか、知っておるのか。杉村は知りもしないで、そういうことを言う」と訪ねた。

侍医・杉村昌雄は困ってしまい、「そうでございましょう。でも一般に、フグというものは毒を持っております。卵巣、肝臓。場合によっては、肝臓から血液のなかまで毒がまわっております。是非、おやめください」と答えた。

昭和天皇は海洋生物の研究をしており、生物学の学者としても一流だったので、こういう議論になると、少々の知識の持ち主では適わない。しかも、昭和天皇は議論を徹底的に戦わせないと気が済まない性格であった。

昭和天皇の攻撃は執拗に続き、防戦一方の侍医・杉村昌雄は、ただただ、「陛下であらせられるがゆえに、もし何かがあると、まことに大変でございます。ですから是非、お止め願いたいということを申し上げておるのでございます」という答えを繰り返さざるを得なかった。

ところが、侍医・杉村昌雄が「これ以上続けば、いよいよまずい事になる」と思っていると、隣の化粧室で拝診(診察)が終わるのを待っていた皇后陛下から、「杉村、もうそのへんで止めるよう」という声がかかったのである。

こうして、2時間にわたって繰り広げられた昭和天皇のフグ議論は、皇后陛下の鶴の一声によって終戦を迎え、侍医・杉村昌雄は寝室を出る事ができた。

(注釈:詳細はわからないが、皇后陛下は化粧室に2時間も閉じ込められ、延々とフグ議論を聞かされていたのだろう。)

その後、侍医・杉村昌雄は昭和天皇がフグを食べたいと言い出した時に備えて、図書館に通ってフグについて勉強したが、昭和天皇は皇后陛下に叱られたのか、フグを食べたい言い出すことは無かった。

昭和天皇のフグ議論の数日後、宮内庁関係者の奥さんがフグの毒に当たって死んだので、侍医・杉村昌雄は少々の無礼があっても、信念を持ってフグを許可しなくて良かったと思った。

その後、宮内省は1987年(昭和62年)11月に天皇にフグ調理を出す事を決定したが、昭和天皇は1989年(昭和64年)1月に崩御してしまった。

昭和天皇は海洋生物の研究をしていたので、ウミウシやイソギンチャクなども食べた経験があったが、生涯、フグを食べることが出来なかったという。

なお、皇室で始めてフグを食べたのは、平成の今上天皇だとされる。平成の今上天皇が皇太子の頃、小金井に居た時に東京の河豚料理屋の店主が出張してフグを料理して、平成の今上天皇がフグを食べている。

■昭和天皇はフグを食べていた?
通説によると、「昭和天皇は生涯、フグを食べることが出来なかった」とされている。しかし、昭和天皇はフグを食べていたという証言もある。

皇室ジャーナリスト河原敏明によると、昭和天皇の侍医・杉村昌雄が「陛下は、フグを召上ったことがありますよ」と証言しているのである。

ただ、それ以上に詳しいことは分からないので、いつ、どこで、昭和天皇がフグを食べたのかは分からない。

天皇の料理番-昭和天皇は秋山徳蔵の料理に飽きた」へ続く。