天皇の料理番-昭和天皇の毒味役のネタバレ

TBSのドラマ「天皇の料理番」のモデル・秋山徳蔵の生涯を描く「実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ」の逸話編「天皇の料理番-天皇陛下と毒味役のあらすじとネタバレ」です。

■天皇の料理番-昭和天皇の毒味役
明治時代に宮内省に大膳寮が設置され、天皇陛下が食べる料理は全て大膳寮が作ることになった。逆に言えば、天皇陛下は大膳寮が作った物以外は食べてはいけない。天皇陛下が大膳以外が作った物を食べるようになったのは、第2次世界大戦後である。

明治天皇の時代は毒味役が居り、その名残で昭和天皇の時は「おしつけ(試饌)」と言って、侍医1人が昭和天皇と同じ料理(量は4分の1)を食べていた。

「おしつけ」は毒味役が形式的に残り、簡素化されたものである。昭和天皇が食事をする前に侍医が「おしつけ」をする決まりになっているが、侍医の都合で昭和天皇が食事を終えた後に侍医が「おしつけ」をすることもあるため、「おしつけ」に毒味という意味は無い。

料理の量も昭和天皇に出される量の4分の1で、侍医は「おしつけ」の後に食堂で食事をする。「おしつけ」はせいぜい、味見程度のものであるが、一応、栄養面のチェックという事になっている。

「おしつけ」は朝食のパンまで4分の1にカットされていたのだが、侍医が「パンくらいは1枚出せ」と言いだしたらしい。やがて、朝食のパンは1枚になったので、侍医は朝食は「おしつけ」で済ませるようになった。このため、侍医室には「おしつけ用」のジャムやバターが完備されている。

さて、行幸の時は、厳戒態勢が敷かれていた。県警が昭和天皇の宿泊するホテルに従業員名を提出させ、昭和天皇に近づく従業員については思想・精神状態・親族まで調査し、行幸の当日は皇室警察も出動した。

毒味についても、昭和天皇を迎える県側が独自に毒味役を用意することは有ったが、皇室側には毒味役は居らず、平素と同じように侍医が「おしつけ」をした。そして、昭和天皇が食べたものは全て記録され、大膳課主房長(天皇の料理番)の秋山徳蔵の元に送られる。

昭和天皇は大膳が作った料理を残すことが多いのに、行幸先ではお代わりをすることもあったので、侍医からの報告を受けた秋山徳蔵は落ち込む事も多かった。

なお、平成の今上天皇の毒味役に関しては、詳しいことは分からないが、宮中の儀式がさらに簡略化され、侍医による「おしつけ」も無くなったらしい。

■李氏朝鮮の毒味
1910年まで朝鮮半島を支配していた李氏朝鮮王朝では、毒味役が居り、朝鮮王が食べる料理は厳重な検閲が行われた。

そして、毒味役が食べて1~2日して、絶対に大丈夫と分かってから、朝鮮王は食事をしたのだという(遅延性の毒を警戒したのだろう)。

このため、腐るまでは行かなくても、腐る一歩手前で、栄養などが無くなっている料理ばかりを食べていたので、李氏朝鮮の王は代々、短命だったのだという。

■満州国の皇帝の毒味
満州国の皇帝が日本に来たとき、鴨や水を持参してきたが、鴨は腐っていたので、大膳課主房長(天皇の料理番)の秋山徳蔵は鴨を捨て、秋山徳蔵が用意した食材で料理を作った。

しかし、至る所に監視が居るうえ、できあがった料理を毒味役が箸やフォークでこねくり回して調べたので、料理がボロボロになった。

これに怒った秋山徳蔵が皇帝の付き人に「20年も天皇は私が作った料理をお召し上がりになっているんですよ。その私が信用できないんですか?とにかく、あれを止めなきゃ、御免こうむります」と苦情を言った。

すると、次に満州国の皇帝が日本に来た時は、秋山徳蔵の作った料理がグチャグチャにされるという事は無かった。

中国料理が大皿に盛られるのも、主人が客人と同じ皿の物を食べ、毒が入っていないことを証明するためらしい。

その他の昭和天皇の逸話については「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧ください。