天皇の料理番-秋山徳蔵の料理外交

TBSのドラマ「天皇の料理番」のモデルとなる秋山徳蔵の生涯を描く「実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ」の実話編「天皇の料理番-秋山徳蔵の料理外交のあらすじとネタバレ」です。

このページは「天皇の料理番-貞明皇后と秋山徳蔵の禿げ頭のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ目次は「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■天皇の料理番-第2次世界大戦
天皇の食事は日常の食事と客を招いた正餐に分かれる。昭和天皇の日常の食事は、現人神と呼ばれた戦前でも、非常に質素で、7分突きの米に丸麦を混ぜたご飯を1日に1食たべ、後はパンを食べた。

戦後も昭和天皇は、寿司の時も白米の使用を許さないという非常に質素な食生活であった。

さて、昭和14年(1939年)に第2次世界大戦が勃発し、国民の配給米に外国米が混ざるようになると、食糧事情はそれほど悪化していないにもかわらず、昭和天皇は大膳(厨房)に「国民と同様に外国米を混ぜよ」と命じ、半つきの米に丸麦と外国米を混ぜたものを食べた。

さらに、昭和天皇は大膳に「白いパンはもったいないから、何か混ぜたらどうか」と命じ、粉子やトウモロコシが混ざったパンを食べた。

戦争末期から戦後にかけ、食糧事情も悪化すると、秋山徳蔵は「天皇の料理番」の生涯を通じて最も苦労することになる。一流の料理人でも、食材がなければ、腕のふるいようが無いのである。

昭和天皇は闇で購入する事を禁じていたので、秋山徳蔵は食料の調達に苦労するようになる。こういうときでも軍部には沢山の食料があったので、困ったときは昭和天皇に内緒で軍部から食料を分けて貰うこともあった。

一方、物資の不足により、闇価格が高騰すると、皇室御用達の名誉を目当てに群がっていた多くの商人は、名誉よりも利益を取り、公定価格でしか購入できない宮内庁を見限って宮内庁には寄りつかなくなった。それでも、中には自分で魚を捕って宮内庁に納めてくれるような商人も居た。

■天皇の料理番-秋山徳蔵の料理外交
昭和20年7月、日本はポツダム宣言を受け入れ、敗戦国となった。第2次世界大戦に負けた日本は、GHQ(進駐軍)の統治下に置かれ、マッカーサー元帥が潰そうと思えば、簡単に潰れてしまう国になった。

国が可愛ければ、マッカーサー元帥の言う事を聞かなければならない。特に皇室に対する考え方を好転させるには、マッカーサー元帥にすがしか方法は無かった。

そう考えている秋山徳蔵にチャンスが訪れた。宮内庁は越ヶ谷と新浜に鴨猟の猟場を持っており、政府はGHQ(進駐軍)の高官達を鴨猟に招いたのである。

天皇の料理番である秋山徳蔵は、鴨猟で存分に腕をふるった。捕った鴨を直ぐに醤油を掛けて鉄板で焼いて食べると、アメリカ人は大いに歓び、我も我もと申し込みが殺到した。

本来はシーズンでも月に1度か2度しか行なわないのだが、申し込みが殺到したため、毎週、鴨猟を行なうことになり、秋山徳蔵は毎週、鴨猟に同伴してアメリカ人を接待した。

秋山徳蔵は元来持っている癇癪(短気)も、負けず嫌いも、自尊心も何もかも捨てて道化師と化し、太鼓持ちに徹した。

これはと思う人には、鴨を持って行ってご機嫌を伺い、料理人・ハウスキーバー・洗濯屋などの世話もした。

■天皇の料理番-ウイットニー少尉事件
秋山徳蔵はウイットニー少尉に料理人を紹介したのだが、料理人がウイットニー少尉の妻と喧嘩して出て行ってしまった。

ウイットニー少尉の妻は秋山徳蔵に代わりのコックを要求したのだが、秋山徳蔵が「直ぐには用意できるものではない」と説明すると、ウイットニー少尉の妻は「私たちは、お前達の国の仕事をするために来ているのです。その私たちに食事をさせないのですか?食事をしなければ、仕事は出来ません。これは日本の運命に関わることです」と言いだした。

無茶苦茶な言い分だが、当時の秋山徳蔵にはウイットニー少尉の妻の言葉が胸に刺さり、仕方なく、大膳の料理人を1人、繋ぎに派遣し、10日ほどで代わりの料理人を見つけ、ウイットニー少尉の妻に紹介した。

秋山徳蔵は日本人にこんな事をしたことはなく、アメリカ人に対しては破格の扱いであった。

■天の料理番-戦後賠償
秋山徳蔵の料理を食べたGHQ(進駐軍)の高官が「秋山徳蔵を我が国に欲しい」と言ってきたので、宮内庁の職員は「戦後賠償としてならお渡しします」と答えた。

■天の料理番-秋山徳蔵のキスマーク
秋山徳蔵は鴨猟や長良川鵜飼いなどでアメリカ人の接待をしていると、向こうは秋山徳蔵を酔わそうとして乾杯を続けたので、秋山徳蔵はトイレで吐きながら、接待を続けた。

そのうち、1人の夫人が「ヘイ、ボーイ」と言って秋山徳蔵に抱きつき、秋山徳蔵の禿げ頭にキスをしてキスマークを付けた。そして、ハンドバックから口紅を取り出し、秋山徳蔵の禿げ頭に日の丸を書いた。

秋山徳蔵は押し殺していた癇癪(短気)がムラムラと復活してきたが、何とか癇癪(短気)を押し殺して太鼓持ちに徹した。

■天皇の料理番-秋山徳蔵のプレゼント攻撃
秋山徳蔵はマッカーサー元帥の誕生日には、必ず机に盆栽を置いた。他にも誕生日と聞くと盆栽や花を贈っり、子供がスキーで足を折ったと聞くと病院に花を持って見舞いに行った。

しかし、役人の財布でいつまでもプレゼント攻撃が続くわけも無く、終いには質屋で購入した雛人形を自分で修復してプレゼントした事もあった。

それを見かねたのか、大映の社長・永田雅一が羽子板5枚を送ってきてくれた。そのウチの1枚に値札が付いており、見ると300円だった。

秋山徳蔵が「300円か」とつぶやくと、部下が「主厨長、それは3000円ですよ」と教えた。

秋山徳蔵は3000円と聞いて驚き、そんなに高い物なら誰かに贈れという事だろうと思い、マッカーサー元帥など5人に羽子板を贈り、天皇家の存続のために奔走した。

しかし、昭和天皇の事を心配していたのは、秋山徳蔵だけではなかった。日本中が昭和天皇の事を心配し、皇室の存在を願っていたのである。

マッカーサー元帥にとって、日本の天皇は理解しがたい存在であった。昭和天皇はマッカーサー元帥に面会したとき、他国の王のように命乞いをせず、極刑をも受け入れるので、国民を助けて欲しいと申し出た。

また、国民も昭和天皇に石を投げることも無く、昭和天皇を敬愛し、昭和天皇の助命を願った。マッカーサー元帥の元には、昭和天皇の助命嘆願を求める数千通の手紙が届いたという。

アメリカを中心に戦勝国の間で、昭和天皇の戦争責任を追及する声がわき起こっていたが、昭和天皇の戦争責任を追求すると、日本で暴動が起きる可能性があったため、日本の統治にあったっていたマッカーサー元帥は、アメリカに「昭和天皇の戦争責任を認める証拠は無い」と報告した。

(注釈:一説によると、マッカーサー元帥が昭和天皇の戦争責任を追及しなかった最大の理由は、日本を平穏に統治するために、昭和天皇の存在が必要だったからである。)

こうした秋山徳蔵の涙ぐましい料理外交もあり、アメリカは皇室に対する考え方を好転させ、日本は天皇の戦争責任を回避する事が出来たのであった。

1951年(昭和26年)のサンフランシスコ平和条約によって第2次世界大戦が正式に終結すると、秋山徳蔵はアメリカ人への接待を止め、料理外交を終えた。

■天皇の料理番-秋山徳蔵がフランス大使館に勝利
第2次世界大戦後、日本政府が在日外交団への接待を再開したとき、鴨猟接待を受けたフランスの新任大使アルマン・ベラールは、宮内庁の黒田実に「鴨猟のすき焼きは誠に素晴らしい。ただし、フランス料理に関してはフランス大使館が東京一と称されたいものです。そのうちご招待しますよ」と言った。

その後、アルマン・ベラール大使は、新任大使として宮中の午餐に招かれ、秋山徳蔵のフランス料理を食べた。

すると、アルマン・ベラール大使は、黒田実の元を訪れ、「宮中の午餐はフランス大使館の比ではなかった。先日の言葉は取り消したい」と言い、秋山徳蔵のフランス料理を絶賛したのでった。

■天皇の料理番-貞明皇后の崩御
昭和26年5月、秋山徳蔵が敬愛していた貞明皇后が崩御した。それは、日本がサンフランシスコ講和条約に署名する直前の事であった。

このとき、弁当が出る事になったので、宮内庁主膳監の野村利吉は秋山徳蔵に「弁当に四つ足を使うのは止めてくれ」と注文を付けると、秋山徳蔵は「また文句を付けやがる。どうしてだ」と食ってかかった。

宮内庁主膳監の野村利吉は、秋山徳蔵の1年後に宮内庁に就職した同僚で、仕事柄、料理に注文を付ける事が多いので、秋山徳蔵とは頻繁に喧嘩する仲である。

主膳監の野村利吉は「貞明皇后は大正天皇の命日はずっと精進料理だった。生臭いものは一切、召し上がらなかった。そんなお方がお亡くなりに成られたのだから、四つ足は遠慮すべきだ」と告げると、秋山徳蔵はプイと部屋を出て行った。

そして、秋山徳蔵は昼頃に戻ってくると、主膳監の野村利吉に「俺の負けだ」と敗北を認めたのである。

どうやら、秋山徳蔵は宮内庁のあちこちで、主膳監・野村利吉の意見が正しいか間違っているかを尋ねて周り、大勢の人が主膳監の野村利吉の意見に賛成したので、秋山徳蔵は主膳監・野村利吉の意見を承服したようである。

秋山徳蔵は短気だったが、サッパリした性格だったので、相手が正しいと分れば、潔く負けを認めて従った。

実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ実話編「天皇の料理番-昭和天皇のフグ事件のあらすじとネタバレ」へ続く。