天皇の料理番の最終回-秋山徳蔵の切腹のあらすじとネタバレ

TBSの料理ドラマ「天皇の料理番」のモデルとなる秋山徳蔵の生涯を描いた「実話・天皇の料理番」のあらすじとネタバレの実話編「天皇の料理番の最終回-秋山徳蔵の切腹のあらすじとネタバレ」です。

実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ目次は「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

このページは「天皇の料理番-昭和天皇は秋山徳蔵の料理に飽きたあらすじとネタバレ」からの続きです。

■天皇の料理番の最終回-秋山徳蔵の切腹
フランス料理にトゥルヌドという料理がある。トゥルヌドはベーコンで牛肉のヒレを巻いた料理である。

トゥルヌドはベーコンで牛肉を巻いた後、それを麻糸などでしっかりと縛ったうえでソテーし、麻糸を取ってから、色々な料理に使う。

天皇の料理番・秋山徳蔵は、昭和天皇の陪食(身分の高い人と食事をすること)でトゥルヌドを出した。当然、料理に使った麻糸の本数は数えており、取った麻糸の本数も数えてるのだが、こういう事は形式化してくると、いつしか、注意を怠ってしまうものだ。

秋山徳蔵が作ったトゥルヌドに、たった1つだけ、麻糸の取り忘れがあり、運悪く、麻糸を取り忘れたトゥルヌドが昭和天皇の席に運ばれてしまったのである。世が世なら切腹ものの不祥事である。

後から、麻糸を取り忘れていたことを知らされた秋山徳蔵ら一同は、色を失い、侍従を通じて昭和天皇にお詫びを申し上げると、侍従がお詫びの最後に「けれども、お客様の分は全部、取ってございます」と付け加えてくれた。

すると、昭和天皇は「それは良かった。それは良かった」と大変満足しておられ、秋山徳蔵の切腹のものの失態には何のお咎めも無かった。

昭和天皇のお言葉を聞いた秋山徳蔵は、涙が溢れ出て、ただ下を向いて「ありがとうございます」と言う事しか出来なかった。

■天皇の料理番-皇太子(平成の今上天皇)の江戸前寿司
ある日、皇太子(平成の今上天皇)が秋山徳蔵の握った寿司を食べたいと希望した。秋山徳蔵は職業柄、寿司も研究しているし、一流の寿司屋にも通っているのだが、寿司を握るのは久しぶりである。

幸い、1週間ほど時間があったので、70の手習いだと思い、寿司屋へ行って寿司の握り方を教えて貰った。

寿司には色々とコツがあるのだが、特に復習しなければならないのは、シャリの握り方である。シャリを上手く握るには10年はかかるといい、一朝一夕ではマスターできない技術である。

秋山徳蔵は一通りの要領を学ぶと、人参をシャリの大きさに切り、左手で握った。職場に居る時も、行き帰りも、ずっど人参を握り続けた。寝るときも、人参を握った手を包帯で縛ったまま寝た。

何十万回握ったか分からないが、秋山徳蔵は来る日も来る日も人参を握り続け、シャリの感覚を体に叩き込んでいった。

皇太子(平成の今上天皇)に寿司を握るまでの1週間の間に2度、自宅に寿司を買って帰り、自宅で寿司を分解し、シャリをバラバラにしてから、自分で寿司を握って子供に食べさせたのだが、終いには子供に「お父さん、できれば買ってきたままがいいな」と言われてしまった。

そうこうしていると、秋山徳蔵は寿司のコツを色々と自得するところがあり、段々と楽しくなってきた。ネタも切り方1つで、シャリにピッタリとフィットすることも発見した。

当日、秋山徳蔵は河岸へ魚を仕入れに以降と思ったが、使う量が少なかったので、寿司屋から魚を譲ってもらった。寿司屋は、高級料亭でも手を出しかねる程の上等な魚を使っているのである。

そして、秋山徳蔵は御所の食堂のテーブルにまな板を並べて、即席の寿司屋を作り、皇太子・義宮・清宮の3人に寿司を握った。

皇太子は秋山徳蔵が握った寿司を25貫も食べたので、秋山徳蔵はハラハラしながらも、皇太子に頼もしさを感じた。

そして、3人が寿司を美味しく食べてくれたので、1週間の苦労が報われた。後で昭和天皇にそのことを報告すると、昭和天皇はお笑いになった。

秋山徳蔵は皇太子(平成の今上天皇)の期待に添えたことと、ひとつの事を成し遂げた満足感に浸っていたが、次第に皇太子が可哀想になってきた。

なにも御所の中で秋山徳蔵が寿司屋を開いて召し上がって頂くことはない。一流の店へ行き、大衆の中で江戸前寿司を召し上がっていただけたら、どんなにいいことだろうか。秋山徳蔵はそう思うと、皇太子(平成の今上天皇)が不憫でならなかった。

■天皇の料理番-昭和天皇は猫舌
昭和天皇は御文庫で食事をする。秋山徳蔵が大膳課で作った料理は、主膳(配膳)が御文庫まで運ばなければならないので、どうしても料理は冷めてしまうのである。

料理は出来たてを食べるのが一番美味しいのは当たり前であるが、皇室は長い習慣の上に成り立っているので簡単には変えられない。いつも冷めた物を食べるのが原因なのか、昭和天皇は猫舌である。

秋山徳蔵は昭和天皇の前で天ぷらを揚げるのだが、冷め加減を間違って出すと、熱い天ぷらを食べた昭和天皇は「熱い」と言って小言を言う。しかし、冷えた物に関してクレームが付いたことは無い。

■天皇の料理番-秋山徳蔵の晩年
晩年の秋山徳蔵は、厨房で料理する事は少なくなり、中島伝次郎や谷部金次郎といった後任の育成にあたった。

昭和46年(1971年)2月、フランス料理アカデミーは、フランスからわざわざ人を派遣して秋山徳蔵にフランス料理アカデミー名誉会員の資格を贈った。

フランス料理アカデミー名誉会員に選ばれることはフランスでも名誉であり、秋山徳蔵はこれをとても歓んだ。

そして、その翌年の昭和47年(1972年)10月、秋山徳蔵は高齢のため、84歳で宮内省大膳職主厨長を退職し、天皇の料理番から引退する。

NHKの歴史秘話ヒストリアによると、秋山徳蔵は退職のとき、天皇から「長い間、ご苦労だったね。これからも体に気をつけるように」と言葉をいただき、必死に涙をこらえ、昭和天皇の前から退室すると、声を上げて男泣きに泣いたという。

秋山徳蔵は大正2年(1913年)10月から昭和47年(1972年)10月までの約50年間、大正天皇と昭和天皇の2代にわたり、天皇の料理番を務めた。

司厨長(主厨長)は秋山徳蔵の為に新設された役職で、最初から最後まで「長」が付く役職に居たのは宮内庁のなかでも秋山徳蔵だけだった。

秋山徳蔵は昭和48年(1973年)4月に勲三等に叙せられ、瑞宝章を受ける。秋山徳蔵はフランス料理アカデミー名誉会員と瑞宝章とても喜び、幸せな晩年を過ごしたらしい。

翌年の昭和49年(1974年)7月14日に死去して最終回を迎え、従四位・正四位を贈られた。こうして、鯖江36連隊で西洋料理と出逢い、西洋料理の料理人を目指した少年の長い料理人生は幕を閉じたのであった。

天皇の料理番・秋山徳蔵の生涯の年表」へ続く。

天皇の料理番の最終回-秋山徳蔵の切腹のあらすじとネタバレへのコメント

大変興味深く拝見しました。
初めて知る事実もたくさん記載さなっていてとても勉強になりました。
ありがとうございました。
ただ、たびたび「平成天皇」という表記が出てきますが、元号+天皇は諡(おくりな)であり、崩御のあとのお名前ですので、ご在位中の天皇陛下をこのように表記するのは大変不敬なことですので、是非とも訂正して頂ければと思います。
ご在位中の天皇陛下については「今上天皇」「今上陛下」と表記するのが正しいと思います。

  • 投稿者-
  • 隼人介
  • -2015年4月19日

■隼人介さんへ
ご指摘ありがとうございます。平成天皇の表記を「平成の今上天皇」へと訂正しました。

  • 投稿者-
  • 管理人
  • -2015年4月19日