実話「とと姉ちゃん」のあらすじとネタバレ

NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」の主人公となる大橋鎮子(大橋鎭子)の生涯を紹介する実話「とと姉ちゃん」のあらすじとネタバレです。

さらに詳しい情報を知りたい方は「とと姉ちゃん 大橋鎭子(大橋鎮子)と花森安治の生涯」をご覧ください。

■実話「とと姉ちゃん」のあらすじとネタバレ

大橋鎮子(大橋鎭子)の父・大橋武雄は、岐阜県養老郡時村(現在の岐阜県大垣市)の出身です。父の実家は名字帯刀が許された名家だったようです。

父・大橋武雄は次男で、10歳の時に東京・深川で木材商を営む親戚の大橋谷吉の養子になり、以降は東京で大橋家の1人息子として育てられました。

その後、父・大橋武雄は、北海道帝国大学の予科へと入学。その後、北海道帝国大学へと進学し、北海道で母・大橋久子(宮原久子)と知り合います。

父・大橋武雄は北海道帝国大学を卒業後、東京・深川へと戻り、大正8年(1919年)4月に北海道に縁がある日本製麻へ入社します。

そして、入社した翌月の大正8年(1919年)5月に、父・大橋武雄は母・大橋久子(宮原久子)と結婚しました。

母・大橋久子(宮原久子)の実家も北海道で牧場を経営するなどしており、両家共に裕福な家庭です。両家ともに裕福で、2人の結婚式の写真が「婦人画報」に掲載されています。

両親が結婚した翌年の大正9年(大正9年)3月10日に長女・大橋鎮子(大橋鎭子)が生まれ、大橋家は幸せなスタートを切ります。

ところで、大橋鎮子(大橋鎭子)が生まれる2年前の大正7年(1918年)4月11日に、兵庫県神戸市で1人の女性が生まれます。それが、坂野惇子(ばんの・あつこ)です。

坂野惇子は、後に兵庫県神戸市でベビー用品店「ファミリア」を創業し、NHKの朝ドラ「べっぴんさん」のモデルとなる人物です。

さて、長女・大橋鎮子(大橋鎭子)が生まれた翌年の大正10年(1921年)に、父・大橋武雄は工場長として北海道へ転勤し、妻子を連れて北海道へと移住します。

父・大橋武雄は北海道に縁のある日本製麻を選んで入社しており、母・大橋久子(宮原久子)が北海道出身なので、北海道への転勤は父・大橋武雄が望んだのでしょう。

2年後の大正12年(1923年)に関東大震災が起きますが、長女・大橋鎭子は北海道に移住していたので、関東大震災は経験していません。

さらに、北海道時代に、大橋家に次女・大橋晴子(結婚後は横山晴子)と三女・大橋芳子が生まれ、大橋家は北海道で幸せな生活を送っていました。

ところが、父・大橋武雄が結核に感染してしまいます。

父・大橋武雄は鎌倉の病院で療養する事になり、大正15年(1926年)4月に日本製麻を退社して、大橋一家は東京へと戻りました。

その後、父・大橋武雄の転院もあり、大橋一家は東京を転々として、最終的に東京府下大井鹿島町に定住し、長女・大橋鎭子と次女・大橋晴子(横山晴子)は大井第一小学校へと転入します。

しかし、父・大橋武雄は入院の甲斐も無く、結核は治らず、昭和5年(1930年)10月1日に死んでしまいます。長女・大橋鎭子が小学5年生(11歳)のことです。

父・大橋武雄は死ぬ間際に長女・大橋鎮子(大橋鎭子)を枕元に呼び、「鎮子は一番大きいのだから、お母さんを助けて、晴子と芳子の面倒を見てあげなさい」と頼むと、長女・大橋鎭子は「ハイ、ワカリマシタ」と答えた。

長女・大橋鎮子(大橋鎭子)は小学5年生で、父・大橋武雄の喪主を務めます。

そして、以降、大橋家の家長(戸主)となり、「とと姉ちゃん(お父さん、お姉さん)」として大橋家を背負って行くのです。

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■実話・とと姉ちゃん-父・大橋武雄の死後

長女・大橋鎭子は小学5年生(11歳)の時に「とと姉ちゃん」(家長)となりましたが、小学5年生なので母と妹2人を養うことは出来ません。

父・大橋武雄の死後は、北海道に住む母方の祖父・宮原満吉が支援してくれましたが、母・大橋久子(宮原久子)が指輪や着物を売りながらの生活で、貧乏な生活が続きます。

しかし、貧乏生活のなかでも母・大橋久子(宮原久子)が夕食後にオルガンを弾き、長女・大橋鎭子と次女・大橋晴子(横山晴子)三女・大橋芳子が謡い、家族は明る生きていました。

■実話・とと姉ちゃん-OC歯磨きで起業

昭和7年(1932年)、とと姉ちゃんの大橋鎮子(大橋鎭子)は、第六高等女学校(東京都立三田高校)に合格します。

暗い話題が続いていた大橋家にとって、父・大橋武雄が結核で死んで以来の明るい話題です。

第六高等女学校へ進学した長女・大橋鎮子(大橋鎭子)は、母が医者から練り歯磨きの作り方を教えてもらった事がきっかけで、練り歯磨き事業で起業することになります。

大橋鎮子(大橋鎭子)は、これでお金の心配をしないでも良い生活が送れると思い、深川の木材置き場の権利を売ったり、北海道の祖父・宮原満吉が家作を売ったりして、現在で1000万円ほどのお金を用意し、練り歯磨き「オーシー歯磨」を完成させます。

しかし、支援してくれると言っていた同級生の両親にトラブルがあって支援してもらえなくなったこともあり、オーシー歯磨事業は失敗に終わました。

買ってくれた人は「続けるように」と応援してくれましたが、オーシー歯磨はほとんど売れませんでした。

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■実話・とと姉ちゃん-大橋鎮子(大橋鎭子)が就職

当時の女性は学校を卒業すると結婚するのが一般的でしたが、長女・大橋鎮子(大橋鎭子)は「とと姉ちゃん(家長)」として家族を背負うため、働いて月給取りになる事を決めていました。

長女・大橋鎮子(大橋鎭子)は、亡き父・大橋武雄の従兄弟・黒田正夫に相談して、黒田正夫の知人の紹介で、日本興業銀行の面接を受け、日本興業銀行に就職する事が決まりました。

父親代わりとなって学費を支援し続けてくれていた北海道の祖父・宮原満吉も喜んで上京し、長女・大橋鎭子の卒業式に参加してくれました。

長女・大橋鎭子は日本興業銀行で頑張って働き、家族を幸せにして、北海道の祖父・宮原満吉にも恩返ししようと思いました。

ところが、その矢先です。お金を支援し続けてくれた北海道の祖父・宮原満吉は長女・大橋鎭子の卒業を見届けると、役目を終えたかのように、昭和13年(1938年)4月に突然、脳溢血で死んでしまいました。

実話・とと姉ちゃん-大橋鎮子が就職するあらすじとネタバレ」へ続く。

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