とと姉ちゃん 父・小橋竹蔵のモデルは大橋武雄

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」に登場する小橋竹蔵のモデルのあらすじとネタバレします。

■小橋竹蔵のモデルは大橋武雄
小説「とと姉ちゃん」に登場する小橋竹蔵のモデルは、雑誌「暮らしの手帖」を創刊した大橋鎭子の父親・大橋武雄です。

■実在のモデル・大橋武雄の生涯
大橋武雄は岐阜県養老郡時村(現在の岐阜県大垣市)で製粉業を営む旧家で、3人兄弟の次男として生まれた。

大橋武雄の実家は、名字帯刀が許された名家だったようである。大橋武雄は父が結核で早くに亡くなり、母親や祖父に育てられた。

大橋武雄は3人兄弟の次男だっため、10歳の時に、父親の従兄弟で東京・深川で材木商を営む親戚・大橋谷吉夫婦の養子になる。

以降、大橋武雄は東京・深川で大橋家の一人息子として育てられ、小学校は不明ながら、東京府第一中学(日比谷高校)へと進学した。

東京府第一中学(日比谷高校)の1年上に栃内吉彦(とちない・よしひこ)が居り、この栃内吉彦は北海道帝国大学の予科に進学した。

大橋武雄は栃内吉彦から「北海道は良いところだぞ」と誘われ、東京府第一中学(日比谷高校)から、北海道帝国大学の予科へ進学して、北海道帝国大学へと進んだようである。

大橋武雄は北海道で宮原久子と出会い、北海道帝国大学を卒業後、東京・深川へと戻り、北海道に縁のある大正8年(1919年)4月に北海道に縁がある日本製麻へ入社した。

大橋武雄は大正8年5月に宮原久子と結婚し、大正9年(1920年)3月10日に長女の大橋鎭子(おおはし・しずこ)が生まれる。

大橋武雄は大正10年に北海道・小沢の工場長に任命され、妻・大橋久子(宮原久子)と長女・大橋鎭子を連れて北海道へと赴任する。北海道・小沢で次女・大橋晴子(結婚して横山晴子)が生まれる。

その後、大橋武雄は北海道・茅野の工場長となったが、大橋武雄は風邪が長引いて回復しないため、北海道でも季候の良い虻田へ工場長として赴任する。

北海道・虻田で三女・大橋芳子が生まれ、大橋一家は幸せかと思われたが、風邪が長引いていた大橋武雄は結核と診断される。結核は当時、不治の病として恐れられている病気だった。

大橋武雄は鎌倉の病院に入院するため、大正15年(1926年)4月に日本製麻を退職して、家族とともに東京へと戻り、その後、鎌倉の病院に入院する。

しかし、大橋武雄は一向に良くならないため、従兄弟・黒田正夫の勧めにより、東京の病院に入院することにした。

大橋芳子ら家族は大橋武雄の転院に伴って、伊東・鎌倉・大森を転々として最終的に東京府下大井鹿島町に住んだ。

しかし、父・大橋武雄は療養の甲斐も無く、昭和5年(1930年)10月1日に死去していまう。

大橋武雄は死に際に「鎭子は一番大きいのだから、お母さんを助けて、晴子と芳子の面倒を見てあげなさい」と頼むと、長女・大橋鎭子は「ハイ、ワカリマシタ」と答えた。

詳しい事情は分からないが、母・大橋久子(宮原久子)は一歩引いて、小学5年生(11歳)の長女・大橋鎭子を喪主にたてた。

長女・大橋鎭子は11歳ながらに、父・大橋武雄の葬儀で喪主を務め、父・大橋武雄との約束を守って家族を支えていくことになる。

大橋鎭子は後に編集長・花森安治と出会い、雑誌「暮らしの手帖」を創刊する。父親を結核で亡くした大橋鎭子は、家族から病人を出さないようにするため、雑誌「暮らしの手帖」で医療情報を提供した。

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の登場人物のモデル一覧は「『とと姉ちゃん』の登場人物と実在のモデルのまとめ」をご覧ください。

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