大橋鎮子(大橋鎭子)と花森安治の結婚と子供
NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルとなる大橋鎮子(大橋鎭子)の生涯を描く実話「大橋鎮子(大橋鎭子)と花森安治の生涯」の番外編「結婚と子供」についてです。
目次は「とと姉ちゃん 大橋鎮子(大橋鎭子)と花森安治の生涯」をご覧ください。
■大橋鎮子(大橋鎭子)の結婚
大橋三姉妹の長女・大橋鎭子(大橋鎮子)は11歳の時に父親が結核で死んで以降、戸主(家長)として母親と妹2人を背負いました。
戦後、大橋鎮子(大橋鎭子)は、お金持ちになって母や妹を幸せにするため、出版社を設立して雑誌「美しい暮しの手帖」を創刊し、以降は社長兼編集員として雑誌のために奔走しました。
大橋鎮子(大橋鎭子)は生涯、結婚せず、母や妹夫婦と共に暮らし、2004年に横山泰子に社長職を譲って社主に退き、2013年3月23日に肺炎で死去しました。93歳でした。喪主は妹・大橋晴子が務めました。
大橋鎮子(大橋鎭子)の生涯は「とと姉ちゃん 大橋鎮子(大橋鎭子)と花森安治の生涯」をご覧ください。
■次女・大橋晴子(横山晴子)の結婚と子供
大橋三姉妹の次女・大橋晴子は、姉・大橋鎮子(大橋鎭子)を手伝って出版社の設立メンバーとなり、後に出版社設立時のメンバーである横山啓一と職場結婚しました。
その後、大橋晴子と横山啓一の間に息子が生まれ、息子が横山泰子と結婚。創立時から社長を続けてきた大橋鎮子(大橋鎭子)は、2004年に横山泰子に出版社「暮らしの手帖社」の社長を譲り、社主へと退きました。
その後、副社長の阪東宗文が社長に昇格し、横山泰子は非常勤取締役へと退きました。
(注釈:情報提供によると、社長に就任した阪東宗文は、阪東紅美子の夫で、阪東紅美子が大橋家の家系だそうです。)
■三女・大橋芳子の結婚
大橋三姉妹の三女・大橋芳子も、姉・大橋鎮子(大橋鎭子)の出版を手伝い出版社の創業メンバーとなり、雑誌「暮しの手帖」の為に奔走します。
三女・大橋芳子も、結婚せずに生涯、独身だったようで、2014年10月21日に老衰で死去しました。89歳でした。喪主は姉・大橋晴子が務めました。
■花森安治の結婚と子供
花森安治は大橋鎮子(大橋鎭子)と出会って出版会社を設立する前に結婚しており、子供も居ました。
花森安治は、東京帝都大学時代に、島根県松江市の老舗呉服屋「山内呉服店」の末娘・山内ももよ(山内もも代)と出会い、学生結婚し、長女・花森藍生が生まれました。
花森安治は戦後、大橋鎮子(大橋鎭子)と出会って雑誌「暮しの手帖」を作る事になり、1978年1月14日に心筋梗塞で死去しています。66歳でした。
長女・花森藍生は松下幸之助の秘書・土井智生と結婚し、2人の間に長男が生まれており、花森安治の家系は続いています。
朝ドラ「とと姉ちゃん」のあらすじとネタバレは「とと姉ちゃん-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
ドラマ「とと姉ちゃん」の登場人物や実在のモデルは「『とと姉ちゃん』の登場人物と実在のモデル」をご覧ください。
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コメント欄
暮しの手帖社の社長阪東宗文さんは、この家系ではなく、奥様で取締役の阪東紅美子さんが大橋さんの家系です。
情報提供をありがとうございます。記事に反映しました。