ナオミとカナコ-結末ネタバレ読書感想文

フジテレビのドラマ「ナオミとカナコ」の原作となる奥田英朗の小説「ナオミとカナコ」のあらすじとネタバレ読書感想文の後編「ナオミとカナコ-結末ネタバレ読書感想文」です。

原作小説「ナオミとカナコ」のあらすじとネタバレは「ナオミとカナコ-原作のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

■ナオミとカナコ-あらすじとネタバレ読書感想文

原作小説「ナオミとカナコ」は、百貨店の外商で働く小田直美(ナオミ)が、DV夫に苦しむ大学時代の親友・服部加奈子(カナコ)の為に、DV夫・服部達郎を殺害するストーリーである。

DV夫に苦しむ服部加奈子の願いは、「ちゃんと夜は眠れて、美味しい水が飲めればいい」という些細なものであった。

「美味しい水が飲めればいい」というのは、DVで口の中が切れてヒリヒリしていたが、それに慣れたら、今度は水がにがくなってきたのだという。

私は原作小説「ナオミとカナコ」を読んで、「平塚らいてう」の「元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。」という一節を思い出した。

私は、本来は太陽として輝いていた服部加奈子がDVによって輝きを失い、ただDV夫に照らされて輝く蒼白い月になってしまったように思えた。

以前に爆買いに来た中国人が、銀座の街頭で子供に立ち小便をさせたというニュースがあった。

このニュースに関して、あるテレビ番組で中国人コメンテーターが、「中国人はマナーが悪いので、中国人は世界中から嫌われている」と指摘していた。

原作小説「ナオミとカナコ」のなかで、中国人・李朱美がDV夫・服部達郎について「そんな男に価値はないのことですね。殺されても文句は言えません」と言っている。

つまり、DV夫は、世界中で嫌われている中国人からも「価値はない」と言われる存在なのだ。DVだけじゃない。弱い物イジメをするような人間も同じである。

だから、私は原作小説「ナオミとカナコ」を読んで、一番最低な人間は、人種や国籍に関係無く、女性に暴力を振るったり、弱い者イジメをしたりする人だと思った。

私は、女性は自ら輝きを放つ太陽でなければならないと思う。女性の輝きを奪うようなDV夫は生ゴミ以下だ。服部加奈子と同じように、三国峠に穴を掘って埋めてしまえばいいと思う。

なお、原作小説「ナオミとカナコ」には出てこないのだが、生ゴミを埋める時は「梅の実」「葦(よし)の葉」を一緒に埋めると良い。

これは井戸を埋める時の作法・風習で、「梅」と「葦(よし)」が「埋めて良し」という掛ことばになっており、「梅の実」「葦(よし)の葉」を一緒に埋めると、神様が「埋めて良し」と許可したことになるそうだ(注釈:風習なので地方によっては埋める物が違う)。

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■ナオミとカナコ-最終回と結末ネタバレ読書感想文

私は原作小説「ナオミとカナコ」を読んで、湊かなえの小説「Nのために」を思い出した。

(注釈:「Nのために」のあらすじとネタバレは「原作小説「Nのために」のあらすじとネタバレ」をご覧ください。)

湊かなえの小説「Nのために」は、主人公の杉下希美らが、夫からDV被害を受けている野口奈央子を救出するたために、救出作戦を実行し、結末で野口夫妻殺害事件の真相が明らかになるというストーリーである。

小説「Nのために」では最終回でどんでん返しがあるのだが、原作小説「ナオミとカナコ」は残念ながら、結末で真犯人が明らかになったり、大どんでん返しがあったりするわけではない。

私は、夫・服部達郎と中国人・林竜輝が途中で入れ替わっていると推理しながら読んでいたが、原作小説「ナオミとカナコ」の最終回の結末に、そういうトリック的な要素は一切無かった。

しかし、原作小説「ナオミとカナコ」ならではの面白さがあった。完璧だと思っていた殺人計画が、実は穴だらけの素人の浅知恵で、小田直美と服部加奈子がジワリジワリと追い詰められていく様子が面白かった。

夫・服部達郎の妹・陽子が探偵を雇い、防犯カメラの映像や、夫・服部達郎と瓜二つの中国人・林竜輝の存在から、服部加奈子を追い詰めていく様子は恐怖を感じた。

しかし、小田直美と服部加奈子は、妹・陽子から逃げ切り、警察の影に怯えながらも、羽田空港で出国手続きを済ませることが出来たときは、ホッとして、緊張の糸が一気に切れた。

原作小説「ナオミとカナコ」の最終回は、羽田空港で出国手続き終えたところで終わっているが、小田直美と服部加奈子の人生は終わらない。そこから、新しい人生はそこから始まるのだ。

私は原作小説「ナオミとカナコ」の最終回の結末を読んで、「平塚らいてう」の「新しい女」という一節を思い出した。

「自分は新しい女である。少くとも真に新しい女でありたいと日々に願い、日々に努めている。真に、しかも永遠に新しいのは太陽である。自分は太陽である。少くとも太陽でありたいと日々に願い、日々に努めている。」(平塚らいてう-新しい女)

私は原作小説「ナオミとカナコ」を読んでDVに苦しんでいた服部加奈子の成長を描いた小説だと思った。

DV夫に怯えていた服部加奈子は、DV夫・服部達郎を殺害し、次第次第に成長していき、女性としての輝きを取り戻していく。それはまるで輝きを失った月から、自ら輝きを放つ太陽へと成長していくようであった。

DV夫・服部達郎は女性に理不尽を強いる男性社会の象徴であり、そして、妹・陽子は男性社会を迎合して、自ら輝こうする女性の邪魔をする女性の象徴である。いつの世も、女性の敵は女性なのだ。

しかし、いくら男性社会と言っても、男は女から生まれてくるのだ。だから、私は女性は自ら輝きを放つ太陽という存在でなければならないと思う。少なくとも、女性は太陽であろうとしなければならないと思う。

小田直美と服部加奈子は、理不尽なDV夫・服部達郎を排除して真の自由や権利を手に入れた女性の象徴であり、本来、女性は小田直美と服部加奈子のように輝かなければならない。

万難を排して真の自由を勝ち取った小田直美と服部加奈子は、上海の地で新しい人生を新しい女として生きていき、きっと、幸せな人生を送るだろう。

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コメント欄

ナオミとカナコの最後の
警察に捕まったか捕まってないのかがしりたい。

  • 投稿者-
  • あいうえお

原作は、ゲートを出た時点で終わっています。逮捕についての描写はありません。ゲートを出た時点で「逃げ延びた」という解釈になると思います。

  • 投稿者-
  • 管理人