花森安治と「暮しの手帖」が「いの一番」「味の素」を使用する理由

花森安治が雑誌「暮しの手帖」で化学調味料(うまみ調味料)の「いの一番」や「味の素」を使用する理由について考えてみる。

■理由1-花森安治の母親は料理が下手だった
雑誌「暮しの手帖」の編集長・花森安治の母「花森よしの」は料理が下手だった。

花森安治は母親の料理にで何一つ美味かったという記憶が無い。後年に「お袋の味」というのが流行したとき、花森安治は「世の中には、そんなに料理の上手なおふくろさまがたくさんおいでになったのか」と寂しい思いをしている。

したがって、花森安治は「家庭の味」「お袋の味」というものを理解していなかった可能性が大きく、「家庭の味」「お袋の味」というものを重視していなかったと考えられる。

そもそも、料理のレシピ自体が、万人が同じ料理を同じ味に作るためのものであり、「家庭の味」「お袋の味」という概念が存在していない。

■理由2-美味しければ良い
鰹節や昆布から本格的な出しを取るにこしたことはないが、毎日の料理にそれほどの手間を掛けるのは大変である。それよりも、「いの一番」や「味の素」を、ほんのひとふりするだけで料理が美味しくなり、家族が幸せになるのであれば、その方が良い。

花森安治はそう考えていたようである。

花森安治は台所を「台所は暮しの工場です」と表現しており、花森安治が目指す「家族の幸せ」という目的において、「家庭の味」「お袋の味」は重要ではなかったと考えられる。

それは結局、花森安治の母親は料理が下手だったので、花森安治は母親の料理についての思い出が無いという点に回帰するのではないか。

■理由3-実は関係者だった
そもそも、雑誌「暮しの手帖」を出版する暮しの手帖社は非営利団体でもないし、公的機関でもない。暮しの手帖社は営利目的の出版社である。

雑誌「暮しの手帖」は広告を掲載しない主義だが、事実として、倒産に直面した時に広告を掲載しないという主義を曲げ、雑誌「美しい暮しの手帖」第3号で資生堂「ドーズ化粧品」の広告を掲載している。

さて、化学調味料(うまみ調味料)の「いの一番」は昭和36年に発売されたのだが、そもそも、「いの一番」と名付けたのは、雑誌「暮しの手帖」の編集長・花森安治である。

花森安治は「いの一番」と命名し、「いの一番」のロゴも制作しており、「いの一番」の関係者なのである。

もし、雑誌「暮しの手帖」で「いの一番」を紹介して、「いの一番」が売れるようになれば・・・。

■こぼれ話-天皇の料理番と「味の素」
化学調味料を推奨しているのは花森安治だけでない。天皇の料理番・秋山徳蔵も「味の素」を宣伝している。

(注釈:「実話・天皇の料理場」を書いたときに、天皇の料理番・秋山徳蔵が「味の素」を宣伝している史料を見たのだが、史料が見つからない。見つかったら、追記する。)

■こぼれ話2-「味の素」を宣伝していたNHK
これは「化学調味料」という言葉が無かった時代の話である。

NHKは商品を宣伝する事を厳しく禁じていたが、NHKは「味の素」が商品名だとは気づかず、NHKの料理番組で講師が「味の素を少々、入れます」と言っていた。

このおかげで、味の素の売り上げが上がったので、ある日、味の素の社員が、NHKにお礼を言いに行った。

味の素のお礼に来たので、「味の素」が商品名だと気づいたNHKは、慌てて「化学調味料」という言葉を考え、以降は「味の素」と言わずに「化学調味料」というようになった。

このため、味の素はお礼を言いに行ったせいで、NHKの料理番組で「味の素」と宣伝してもらえなくなってしまった。

その後、時代が流れて、「化学調味料」では体に悪そうなイメージになってきたので、「化学調味料」は「うまみ調味料」と言い換えられるようになった。

なお、大橋鎭子(大橋鎮子)と花森安治の生涯は「とと姉ちゃん 大橋鎭子(大橋鎮子)と花森安治の生涯」をご覧ください。

スポンサードリンク