花森恒三郎と「花森よしの」の生涯

花森安治と大橋鎭子(大橋鎮子)の生涯を描く「実話・とと姉ちゃん」の登場人物編「花森恒三郎と花森よしのの生涯」です。

■花森恒三郎と「花森よしの」の生涯
花森恒三郎(はなもり・つねざぶろう)は、兵庫県神戸市で貿易商を営む裕福な家庭に生まれた。

妻の「花森よしの」は、師範学校を出て小学校で教師をしていた時に花森家の目に止り、花森恒三郎と結婚し、6人の子供を産んだ。その長男が、雑誌「暮しの手帖」の編集長・花森安治である。

花森恒三郎は体が悪くかったのであまり仕事をしていなかったと言うが、実際は神戸育ちのハイカラな遊び人だったので家業に身を入れず、競馬や株や相場などのギャンブルに精を出していた。

しかし、妻・花森よしのが、外れ馬券を額縁に入れて飾るようになってからは、競馬はやめてしまったという。

また、花森恒三郎は、長男・花森安治や長女・花森久美(花森クマ)を連れて、映画や宝塚少女歌劇によく行き、長男・花森安治に大きな影響を与えた。

しかし、花森恒三郎は、相場や株に手を出した挙げ句、保証人になり、財産を失ってしまう。

さらに、大正8年(1919年)に火事の飛び火で自宅が燃えてしまい、花森家は一夜にして長屋暮らしに転落してしまう。花森安治が8歳で、小2年生のことである。

以降は妻「花森よしの」が薬局や荒物屋を営みながら、夜は和裁の内職を続け、6人の子供を育て上げた。

妻「花森よしの」は小学生の教師だったので、裁縫などは得意だったようだが、料理は下手だった。

このため、長男・花森安治は母親の料理について特に思い出が無く、後に「お袋の味」が流行したとき、「ずいぶんと料理の上手なお母さんがいるもんだなあ」と寂しい思いをしている。

その後、妻「花森よしの」は、内職して貯めたお金があると言って夫・花森恒三郎を説得し、長男・花森安治を昭和5年(1930年)に旧制松江高校(島根大学)へ進学させた。

しかし、妻「花森よしの」は、無理がたたってか、心臓を病んでおり、長男・花森安治が旧制松江高校(島根大学)に入学した最初の夏休みに死去してしまう。長男・花森安治が19歳のことである。

夫・花森恒三郎は、長屋暮らしに転落した後も、妻「花森よしの」が稼いでいた金で暮らしており、妻「花森よしの」の死後は生活が安定していなかったようだ。

このため、長男・花森安治の兄弟は進学が難しく、親戚に預けられたりして、兄弟はバラバラになったという。

戦後、長男・花森安治は昭和21年(1946年)に大橋鎮子(大橋鎭子)と共に出版社「衣装研究所」を設立し、ファッション誌「スタイルブック」を創刊する。

その翌年の昭和22年(1947年)11月に夫・花森恒三郎は死去する。長男・花森安治が36歳のことだった。

花森安治と大橋鎭子(大橋鎮子)の生涯を描いた「実話・とと姉ちゃん」は、「とと姉ちゃん 大橋鎭子(大橋鎮子)と花森安治の生涯」をご覧ください。

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