仰げば尊し-原作「ブラバンキッズ」のあらすじとネタバレ

TBSのドラマ「仰げば尊し」の原作「ブラバンキッズ・ラプソディー」「ブラバンキッズ・オデッセイ」のあらすじとネタバレです。

■原作「ブラバンキッズ」のあらすじとネタバレ

野庭(のば)高校・吹奏楽部の指導者となる中澤忠雄は、東京芸術大学在学中に日本フィル八ーモニー交響楽団に入団。NHK交響楽団を経て読売日本交響楽団の設立に加わり、チューバ奏者として活躍していたプロの音楽家である。

しかし、友達に車でおくってもらった時に交通事故に遭い、頭蓋骨を骨折。無事に退院したものの、事故の後遺症により、思うような音が出せなくなり、オーケストラから引退した。

中澤忠雄は音楽に背を向けていたが、近所の人からら「娘にピアノを教えて欲しい」と頼まれた事が切っ掛けで、音楽教室を開いた。

その後、中澤忠雄は、神奈川県立野庭高校にほど近い、神奈川県横浜市港南区の上大岡駅付近に引っ越し、本格的に音楽教室を始めた。

■野庭高校・吹奏楽部からの要請

野庭高校の6期生で吹奏楽部の部長を務める2年生の藤田剛は、小学校で鼓笛隊、港南中学の吹奏楽部でトロンボーンを始め、東京芸術大学で音楽を学ぶことを夢見る音楽少年だった。

部長・藤田剛が吹奏楽部に入ったのは、自宅ではトロンボーンの練習が出来ないという理由だけだった。部長・藤田剛は、先生について個人レッスンを受けており、吹奏楽部の事など考えず、東京芸術大学を目指して個人練習に没頭していた。

部長・藤田剛は、バイクの無免許運転で逮捕されるような不良だったが、持ち前のリーダーシップが認められ、1年生にして吹奏楽部の部長に抜擢され、次第次第に吹奏楽部の事を考えるようになっていった。

さて、野庭高校は創立まもない高校だったので、吹奏楽部は部員が少ないため、35人以下編成のB部門に出場しており、B部門の県大会で優秀な成績を収めていた。

部長・藤田剛が2年生の時に部員が一気に増えたので、意気揚々と、50人以内編成のA部門へ出場した。

ところが、B部門は県大会までだが、A部門は全国大会まであるので、B部門とA部門は全くレベルが違い、野庭高校・吹奏楽部はA部門の地区大会で惨敗してしまう。

格の違いに驚いた部長・藤田剛は、部員に練習への参加を呼びかけたが、部員の足並みはそろわなかった。

このようななか、部長・藤田剛は、楽器店から「近くにプロが住んでいる」と教えてもらい、楽器店を通じて中澤忠雄に指導を依頼したのである。

■楽器店からの依頼

楽器店から野庭高校・吹奏楽部を見て欲しいと頼まれた中澤忠雄は、音楽教室が忙しかったので、しばらく放置していたが、楽器店からの頼みなのでむげに無断ることが出来ず、重い腰を上げて野庭高校・吹奏楽部を見学することにした。

音楽教室の生徒に野庭高校・吹奏楽部について尋ねると、野庭高校は偏差値も低く、吹奏楽部も問題にすらならないレベルだという答えが返ってきた。

知り合いに相談しても、野庭高校は偏差値の低いし、公立高校はお金がないから苦労するだけだ、と理由で反対された。

しかし、野庭高校・吹奏楽部を見学した中澤忠雄は、演奏は度下手くそだったが、一生懸命、演奏する子供達の顔を見て、教えてみようと思った。

中澤忠雄は教育者とい性格では無いため、教育という現場に足を踏み入れることを躊躇したが、部長・藤田剛の熱意を受け、中澤忠雄は週に1~2回程度、3月の定期演奏会までということで、野庭高校・吹奏楽部の指導を引き受けるこにした。

あくまでも、週に1~2回程度の指導であり、妻・中澤信子の心配も「音楽教室と重ならないかしら」という程度だった。

■指導開始

昭和56年(1981年)1月、中澤忠雄は野庭高校・吹奏楽部の指導を開始したが、野庭高校の吹奏楽部は音楽以前の問題だった。練習をサボる部員は居るし、個人練習が中心でまとまりが無かった。

そこで、中澤忠雄は音楽の練習よりも、ソフトボールやピクニックを行い、部員たちの気持ちを1つにしようとしていった。

やがて、中澤忠雄は吹奏楽部に受け入れられると、本格的な練習を開始するが、部員が「練習が厳しい」と反発し、吹奏楽部を辞めようとする部員が続出してしまう。部員は、練習よりも自由な時間が欲しいと言うのである。

中澤忠雄は辞める理由を聞いて驚き、慌てて練習時間を短縮し、日曜日も部活を休みにした。

さて、中澤忠雄は週に1~2回程度、3月の定期演奏会まで教えるというつもりだったが、次第次第に野庭高校へ通う日が増えていき、子供たちに全国大会をみせてやりたくなり、4月には部活動嘱託員となって正式に吹奏楽部を指導するようになった。

■ブラバンキッズ-1年目

昭和56年(1981年)4月、部活動嘱託員となった中澤忠雄は、正式に吹奏楽部を指導を開始するが、3年生は進学のため、部活動への参加は自由で、続々と吹奏楽部から引退していく。

中澤忠雄は、全国大会へ行くには3年生が必要として、3年生に吹奏楽部への残留を求めると、3年生の半数以上が吹奏楽部に残ってくれた。

これに喜んだ中澤忠雄は、ことある事に「3年生を全国大会に連れて行く」と言い、3年生を優遇し、本格的な練習を開始した。

しかし、2年生は、こうした3年生優遇に不満を持った。また、2年生は、軍隊のように声を上げながら行進する「規律訓練」にも不満を持っており、ついに夏の合宿で不満を爆発させ、アロハシャツにサングラスという格好で夏の合宿に現れた。

これに怒った中澤忠雄は、合宿を打ち切って帰ろうとしたが、部長・藤田剛が長距離を走って追いかけてきたので、中澤忠雄は部長・藤田剛の熱意に討たれて、合宿へと戻った。

中澤忠雄は吹奏楽部に戻ってきたが、アロハシャツで来た2年生の松下研一と本多亮を罰として、大会メンバーから外した。

2年生の齊藤浩一もアロハシャツを着ていたが、トランペット担当だったので、代わりが居ないという理由で大会メンバーに残された。

その日の夜、メンバーから外された松下研一と本多亮は、齊藤浩一と山下慎一を加えて、愚痴を言いながらやけ酒を飲んで寝込んだ。

ところが、翌朝、部長・藤田剛に飲酒を見つかってしまう。怒った部長・藤田剛は、泣きながら松下研一ら4人を殴った。

松下研一らは、泣きながら殴る部長・藤田を見て、不思議と晴れやかな気持ちになっていき、以降、3年生や中澤忠雄を受け入れ、練習に身を入れるようになっていく。

一方、2年生の久貝聡は、メンバーから外された松下研一とは仲が良いわけではなかったが、松下研一らがメンバーから外された事に怒り、中澤忠雄に直談判した。

他方、大会メンバーの片野誡は、松下研一ら吹奏楽部を辞めてしまうのではないかと心配。地区大会を突破すれば、メンバーから外された松下研一と本多亮を復帰させる事が出来るのではないかと考え、地区大会を突破するため、練習に没頭した。

久貝聡の直談判は叶わなかったが、合宿での事件は部員同士の結束を強める結果となり、野庭高校の吹奏楽部は、合宿の事件を切っ掛けに、一致団結して練習に励むようになった。

さて、中澤忠雄は、部活動嘱託員としての報酬は1万円だけだったが、毎日のように野庭高校へ行き、吹奏楽部を指導したので、音楽教室の収入が減っていた。

にもかかわらず、中澤忠雄は練習後、部員を頻繁に自宅に招き、夕食を食べさせたので出費が増加。中澤家の家計は火の車だったが、妻・中澤信子は「なんとかなるもんね」と笑い飛ばしていた。

こうした状況を心配した父兄らが「父母会」を結成し、吹奏楽部や中澤忠雄を支援した。

こうして、野庭高校の吹奏楽部は、父兄などをも巻き込んで一致団結した結果、野庭高校の吹奏楽部は地区大会で優秀賞に選ばれ、県大会へと進んだのである。

片野誡の考え通り、県大会から合宿で事件を起こした松下研一と本多亮がメンバーに復帰し、野庭高校の吹奏楽部は県大会も突破。さらに、関東大会で銀賞に選ばれたのである。

こうして、前年は地区大会で惨敗した野庭高校の吹奏楽部は、中澤忠雄が指導するようになって、わずか1年で関東大会の銀賞まで躍進したのであった。

ドラマ「仰げば尊し」の原作「ブラバンキッズ」の結末ネタバレ』へ続く。