いだてん-春野スヤ(綾瀬はるか)のモデルと実話のネタバレ

NHKの大河ドラマ「いだてん」に登場する春野スヤ(綾瀬はるか)の実在のモデルをネタバレします。

■春野スヤ(綾瀬はるか)の実在のモデル

「いだてん」に登場する春野スヤ(綾瀬はるか)は実在しています。モデルと同姓同名ですが、実話とは少し設定が違います。

大河ドラマ「いだてん」の春野スヤ(綾瀬はるか)は、医者の娘で、幼馴染みの金栗四三に恋心を抱き、金栗四三と結婚し、オリンピックを目指す金栗四三を支え続けていきます。

しかし、実話の春野スヤは、医者の娘でしたが、幼馴染みではなく、春野スヤと金栗四三は、お見合い結婚でした。

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■実話の春野スヤと金栗四三が結婚した経緯

金栗四三は、熊本県玉名郡春富村の出身で、東京の東京高等師範学校へと進学し、在学中に日本初参加のオリンピックとなる明治45年(1912年)のストックホルムオリンピックのマラソンに出場したが、26㎞付近で熱中症で倒れて棄権するという結果に終わった。

そして、大正2年、金栗四三は次のオリンピックを目指してトレーニングを続けているとき、熊本県玉名郡の資産家・池部家に嫁いだ叔母・池部幾江が金栗家に、四男の金栗四三を養子に欲しいと頼んだ。

金栗四三はの兄・金栗実次は断ったが、叔母・池部幾江は夫に先立たれ、子供も居ないことから、池部家を存続させるため、熱心に金栗四三を養子に欲しいと言うので、金栗四三に養子の件を知らせた。

すると、金栗四三は、東京に居てもいいのなら養子になってもいいと言い、池部家へ養子に入って、池部家を継ぐことが決まった(ただし、実際に池部家へ養子に入ったのは大正11年です)。

すると、池部幾江は、金栗四三が養子になってくれる事を喜び、金栗四三が結婚してくれれば、池部家は安泰だと言い、金栗四三の結婚相手として医者の娘・春野スヤを結婚相手に選び、金栗家に結婚をゴリ押しした。

(注釈:最近の研究で、春野スヤは池部家の池部重行と結婚していてことが判明しています。春野スヤは池辺家の嫁で、夫に先立たれ、金栗四三と再婚したという形です。)

すると、兄・金栗実次がすっかりと春野スヤの事を気に入ってしまった。

金栗四三は熊本県玉名郡春富村の出身で、春野スヤは熊本県玉名郡石貫村の出身。同じ、玉名郡の出身で、春野スヤが1歳年下と年齢も近かったが、幼馴染みなどではなく、金栗四三は春野スヤを知らず、会った事もなかった。

金栗四三は日本初のオリンピック選手なので、春野スヤは金栗四三の事を知っていたようだ。結婚前から、金栗四三のマラソンに向ける情熱を十分に理解していた。

兎にも角にも、金栗四三は兄・金栗実次の命令により、1度も会った事の無い春野スヤと結婚を前提とする見合いをすることになってしまったのである。

そして、金栗四三は東京高等師範学校を卒業すると、見合いのために帰省し、翌日に結婚を前提とした見合いをして、初めて春野スヤと会った。

このとき、金栗四三は東京高等師範学校を卒業しても教師にはならず、ベルリンオリンピックを目指すため、高師研究科へ進学することになっていた。

春野スヤは、金栗四三のマラソンへの情熱を十分に理解しており、見合いの場で、「貴方のご決意は十分に分かっているつもりです」と言った。

そして、春野スヤは、見合いの翌日に祝言を挙げ、金栗四三と結婚し、結婚式から5日後に、夫・金栗四三はマラソンに専念してベルリンオリンピックを目指すため、新妻の春野スヤを熊本に残し、単身で東京へと戻った。

春野スヤは寂しい夜を送り、ときどき、上京して夫・金栗四三に会いに行き、夫・金栗四三も年に1~2回は帰郷していましたが、結婚当初から別居という状態が続くのだった。

(注釈:養子先の池部家は資産家で、働かなくても生活できるため、金栗四三は結婚のため就職必要は無く、東京でマラソンに専念できました。)

■夫・金栗四三に追い返される

夫・金栗四三は、大正5年(1916年)のベルリンオリンピックを目指していたが、ベルリンオリンピックは第1次世界大戦のために中止となってしまった。

そこで、夫・金栗四三は目標を大正9年のアントワープオリンピックに変更して、トレーニングを続けるのであった。

そして、春野スヤは、夫・金栗四三がアントワープに出発する直前に上京し、出発の準備を手伝おうとしたが、夫・金栗四三は「私は今、故郷も妻も忘れて祖国のために走ろうと思っている。気を散らさないでくれ」と言い、会いに来た春野スヤを追い返したのだった。

しかし、夫・金栗四三は36㎞付近で足を痛めたため、アントワープオリンピックの成績は、16位に終わった。

そして、夫・金栗四三はドイツを視察して、女子教育の必要を痛感し、帰国すると、東京女子師範学校で女子体育の普及に尽力した。

このころ、春野スヤを東京に呼び寄せて、ようやく別居状態を解消したようで、大正11年には正式に池部家の養子になった。

そして、夫・金栗四三は大正13年のパリ・オリンピックも33㎞付近で意識不明となり、リタイアするという結果に終わり、現役を引退して、第一線を退いた。

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■夫・金栗四三を叱咤!

夫・金栗四三は昭和6年に東京を離れ、故郷の熊本へと帰ると、熊本のスポーツ振興のために尽力した。その一方で、地元の農業振興のためにも夫婦で努力した。

そのようななか、夫・金栗四三は知人から梨園の経営を勧められたので、その気になって、妻の春野スヤと養母・池部幾江に相談します。

すると、春野スヤは「ナシ園の経営とは何事です。四三さん、あなたはマラソン一筋に生き抜くことを自分の務めだと言っていたじゃありませんか」と激怒した。

それで、夫・金栗四三は我に返り、再びスポーツ普及のために頑張るのであった。

■夫を応援する

夫・金栗四三は、故郷でスポーツの振興に励むことを決めており、ニ度と上京するという野心を起こさないと心に誓っていた。

しかし、昭和11年(1936年)に東京オリンピックの開催が決まると、嘉納治五郎を初め、各関係者から夫・金栗四三に上京を求める手紙が届いたため、夫・金栗四三は激しく心を揺さぶられた。

すると、養母・池部幾江は金栗四三に上京を促した。春野スヤも「私には子どもたちの学校のこともあります。すぐに上京というわけにもいきませんから、とにかくあなただけはさきに上京なさって下さい。子どもたちのことは何もご心配なさらないないのです」と言い、夫・金栗四三に東京へ行ってオリンピックのために尽力することを勧めたのだった。

日本は日中戦争の影響で、昭和15年の東京オリンピックを返上してしてしまったが、その後も野スヤは生涯にわたり、夫・金栗四三を支え続けていくのだった。

なお、NHK大河ドラマ「いだてん」のキャストとモデル一覧は、「大河ドラマ『いだてん(韋駄天)』のキャストとモデル」をご覧ください。

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