朝ドラ「エール」のモデルとあらすじとネタバレ

窪田正孝が主演するNHKの朝ドラ「エール」のモデルとあらすじとネタバレです。

朝ドラ「エール」のモデルとネタバレ

■エールのあらすじ

古山裕一(窪田正孝)は明治42年に福島の呉服屋の長男として生まれ、呉服屋の跡取り息子として大事に育てられたが、ぼんやりとして何の取り柄の無い平凡な子供だった。

しかし、古山裕一(窪田正孝)は音楽と出会ったことで、音楽の素晴らしさに惹かれ、独学で作曲を学び、家族に内緒で海外のコンクールに応募しすると、古山裕一(窪田正孝)の曲が上位入賞を果たした。

これを切っ掛けに、古山裕一(窪田正孝)は歌手を目指している女性と出会い、その女性と結婚し、2人で苦難を乗り越えて、数々のヒット曲を生み出していった。

やがて、戦争へと突入すると、古山裕一(窪田正孝)は軍の要請で戦時歌謡を作曲するが、自分が作った歌で若者が戦死していくことに心を痛め、戦後は歌の力で傷ついた国民を癒やそうと考え、新しい時代へと向けた歌を作曲するのだった。

■エールのモデルは作曲家・古関裕而

古関裕而は福島県福島市大町の呉服店「喜多三(きたさん)」に生まれ、父親が音楽好きだったことから、子供の頃から音楽が好き、音楽の授業だけでは物足りず、独学で作曲の勉強を始めた。

古関裕而は実家の呉服やを継ぐために、旧制福島商業学校へと進学するが、実家の呉服屋が倒産してしまう。

卒業後は川俣銀行に就職する一方で、福島ハーモニカーソサエティーに入り、作詞・作曲などを手がけるとともに、作曲家・金須嘉之進に師事した。

やがて、古関裕而は「竹取物語」を作曲して海外のコンクールに送ると、「竹取物語」が入選。この入選が切っ掛けで、内山金子と知り合い、内山金子と結婚した。

そして、古関裕而は、山田耕筰の推薦でコロムビアの作曲家となり、菅原明朗に師事しながら、数々の曲を世に送り出した。

戦時中は戦時歌謡を手がけたが、自らの作品で戦死していった人たちへの自責の念を持ったことから、戦後は暗い日本を明るくするために数々の曲を作り、1964年開催の東京オリンピックの「オリンピック・マーチ」も手がけた。

古関裕而は数々の功績が認められ、福島県福島市で初の名誉市民に認められ「福島市古関裕而記念館」も建設されたが、入院生活を送っていたため、「福島市古関裕而記念館」へ行くことは出来ず、平成元年(1989年)11月12日に脳梗塞で死去した。80歳だった。

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