朝ドラ「エール」の古山裕一(窪田正孝)のモデルは古関裕而

NHKの朝ドラ「エール」の主人公・古山裕一(窪田正孝)のモデルとなる古関裕而の生涯を紹介します。

エール・古山裕一のモデル

■古山裕一(窪田正孝)のあらすじ

古山裕一(窪田正孝)は明治42年に福島県で代々続く老舗呉服屋の跡取り息子として生まれたが、父親が呉服屋を倒産させてしまう。

古山裕一(窪田正孝)は、叔父が経営する銀行へ就職するが、子供の頃に音楽と出会って刺激を受け、独学で作曲を勉強しており、音楽の夢を諦められなかった。

そこで、古山裕一(窪田正孝)は、家族に秘密で海外のコンクールに応募すると、いきなり入選を果した。

これが新聞に掲載され、新聞を読んだ女学生は、古山裕一(窪田正孝)に手紙を送り、2人の文通が始まり、やがて2人は結婚するのだった。

■古山裕一(窪田正孝)のモデルは古関裕而

古関裕而は福島県福島市大町の呉服店「喜多三(きたさん)」に生まれた。音楽好きの父親が蓄音機を購入してレーコードを聞いていたことから、古関裕而も音楽に興味を持つようになる。

古関裕而は、小学校の先生に音楽を教わる一方で、独学で作曲を学び、10歳の時に卓上ピアノで作曲を開始した。

福島商業高校へ進学した古関裕而は、13歳で本格的に作曲活動を開始し、関東大震災をテーマにした「大地の反逆」を作曲する一方で、14歳の時に福島ハーモニカーソサエティーに入った。

さて、古関裕而は実家を継ぐために福島商業高校へ進学したが、実家の呉服屋が倒産してしまったので、川俣銀行に就職して、音楽活動も続けた。

古関裕而は20歳の時に、家族に内緒で作曲した「竹取物語」など4曲を海外のコンクールに応募すると、2等に選ばれて新聞で報じられる。

この新聞記事を見た内山金子が文通を申し込み、文通を開始。文通が実を結んで、古関裕而は翌年の昭和5年(1930年)に内山金子と結婚した。

その直後、古関裕而はコロムビアの専属作曲家となり、上京して数々の作曲を手がけ、26歳の時に「船頭可愛いや」がヒットし、27歳の時に「阪神タイガースの歌(六甲おろし)」を作曲した。

戦時中は慰問団に参加したが、自分の歌を聴いて若者が戦死していくことを苦にして、戦後は日本を元気にするような曲を作ろうと考えた。

戦後はラジオドラマの曲などを手がけ、39歳の時に全国高等学校野球大会の歌「栄冠は君に輝く」を作曲し、43歳の時に大ヒットしたNHK連続ラジオドラマ「君の名は」の主題歌の作曲を手がけた。

55歳の時に東京オリンピックの行進曲「オリンピック・マーチ」を作曲して、数々の功績が認められ、60歳で紫綬褒章を受章し、63歳の時に札幌オリンピックの「純白の大地」を作曲した。

古関裕而は70歳の時に福島市名誉市民となり、勲三等瑞宝章も受賞。さらに、レコード大賞特別賞も受賞した。

71歳の時に妻・古関金子が死去し、77歳の時に健康上の理由から作曲活動から引退した。

古関裕而は78歳の時に、森繁久彌・加藤道子とともに放送文化基金個人部門賞を受賞。

翌年に古関裕而記念館がオープンしたが、古関裕而は既に入院生活に入っていたため、古関裕而記念館へ行くことは出来ず、平成元年(1989年)8月18日に死去した。80歳だった。

古関裕而の死後、国民栄誉賞が贈らることが検討されたが、遺族が断ったという。

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