なつぞら-山田天陽(神田日勝)ロス!病気・死亡と実話のネタバレ

NHKの朝ドラ「なつぞら」の山田天陽(吉沢亮)の病気や死亡、モデルとなった神田日勝の病気や死因のネタバレです。

■山田天陽(吉沢亮)の病気・死亡のネタバレ

朝ドラ「なつぞら」の山田天陽(吉沢亮)の死亡は決定していないのですが、モデルとなった神田日勝が32歳という若さで死んでいるため、山田天陽(吉沢亮)も早死にすると考えられる。

朝ドラ「なつぞら」はアニメーター奥山玲子をモデルにしていることから、山田天陽(吉沢亮)は「フランダースの犬」エンドを迎え、教会で馬と重なり合って死んでいくのかもしれない。

そこで、今回は山田天陽(吉沢亮)のモデルとなった神田日勝の病気や死亡の実話を紹介したい。

■神田日勝の病気と死因のネタバレ

神田日勝は画家と農業という2足のワラジを履いていたが、どちらもお金にならないため、生活は苦しかった。

そんな神田日勝は常々、ヌードモデルを描きたいと思っていたが、ヌードモデルを雇うようなお金が無いため、相撲取りの写真やスポーツ選手の写真を参考にして絵を描いていた。

(注釈:神田日勝はベニヤ板に馬の絵を描いていたい事で有名だが、販売目的の絵はキャンパスに描いていた。母親から「いやらしい絵ばっかり描いて」と愚痴られていた)

そのようななか、知人が帯広のホステスを口説き落とし、ホステスが神田日勝のヌードモデルになってくれることになった。

しかし、その日の夜は大雪が降り、神田日勝は鹿追町から出ることができず、念願のヌードモデルを描くことが出来なかった。

その後も、神田日勝は妻が居ない場所で、知人らにヌードモデルのことを相談をし、虎視眈々とヌードモデルを描くチャンスを狙っていた。

そのようななか、神田日勝は昭和45年(1970年)の6月頃から、ときどき、発熱や頭痛の症状が出るようになるが、病院嫌いだったため、常備薬を飲んでいた。

農作業の方はトラクター組合に任せることは出来るが、神田日勝は全道展帯広巡回展の会場設営チーフだったので、全道展帯広巡回展の仕事は休むことが出来ず、無理をして帯広へ出ており、疲弊していく。

そのようななか、神田日勝は農作業中に夕立に遭い、風邪を引いてしまうが、無理を押して全道展帯広巡回展の準備に出かけ、様態を悪化させてしまう。

その後、全道展帯広巡回展の準備は終わったが、体調は良くならず、帯広厚生病院を受診すると、風邪と疲労と診断された。

そこで、神田日勝は2~3日、何もせずに休んでいたが、微熱が続いたので、再び病院へ行くことを決めた。

神田日勝は病院へ行く前日の昼、「もう1人生まれたら困るかな?」と尋ねた。

妻・神田ミサは、ある出来事を切っ掛けに、神田日勝の希望は何でも受け入れようと考えていたので、「3人でも4人でも困らないよ。私は丈夫だから」と答えた。

こうして、神田日勝はカーテンの無いアトリエで、妻・神田ミサを抱いたのだった。

翌日、隣町の新得町の病院を受診すると、入院することになる。その日はいったん家に帰り、翌日から神田日勝は入院した。

ある日、神田日勝は病院で絵を描くために、自宅にキャンパスや絵の具を取りに帰るが、病院へ戻ると、原因不明のまま容体が悪化していった。

このため、神田日勝は日本赤十字病院へ移されたが、日本赤十字病院でも治るとは言ってもらえなかった。

神田日勝は入院中、3人目の子供を楽しみにしていたが、妻・神田ミサは妊娠していなかった。

妻・神田ミサは、妊娠しなかった事を教えるかどうか、悩んだ末、神田日勝に3人目はダメだったと教えた。

すると、神田日勝は「そう」と言ったきり、黙ってしまい、妻・神田ミサは、もう少し時間を置けば良かったと、教えた事を後悔した。

その日の午後に神田日勝は容体が急変して死んでしまった。死因は腎盂炎による敗血症で、32歳だった。

なお、朝ドラ「なつぞら」のあらすじやネタバレは「なつぞら-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

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